【国際機構論】2009年4月21日 長谷川 祐弘 法政大学教授

2009年度法政大学法学部
「国際機構論」
テーマ : 国際機構論の役割と構造
講師  : 長谷川 祐弘 教授
日時  : 2009年4月21日(火) 13:30~15:00
場所  : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎 309教室
作成者 : 松田 浩太朗 法政大学法学部政治学科2年

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<Ⅰ講義概要>

1,第二次世界大戦後の国際機構論
第一次世界大戦後、世界の安全と安定、自由民主主義の下に(米)ウィルソン大統領が国際連盟の発足を訴え設立されたが、第二次世界大戦で崩壊してしまった。
1943年、モスクワ会議では各国首脳ではなく外務大臣レベルで会議が開かれた。(米)コーデオ・ハル国務長官は普遍主義に基づいた国際社会での秩序、全ての国の主権と平等が守られるべきと主張したが、それに対してイギリス、ソ連は国家の利益を前面に押し出した主張をした。
1944年、ダンバートン会議では連盟が崩壊してしまった理由を踏まえ会議が進められた。崩壊した理由として力を持っている大国(日本、ドイツ)が次々と退盟していったことやアメリカが参加していなかったなどが挙げられた。
1945年、ブレトン・ウッズ会議では経済問題を議題にした会議が進められた。そして国連にブレトン・ウッズ体制がとられた。ブレトン・ウッズ体制とは第二次世界大戦後の米ドルを金(1オンスを35ドル)とともに国際通貨にし、固定為替相場を作り、IMFや世界銀行といった国際機関を設立した国際体制のことである。この体制で重要な3つの柱がWTO(自由で多角的な世界貿易を行う)、IMF(為替の安定)、世界銀行(発展途上国の開発を手助けする)であり、これらの機関により1929年に起こった世界恐慌の再来を防ごうとした。IMFは資本主義によって経済社会が崩れないように通貨と為替の安定を目的として作られ、総務会では加盟国185カ国の各国から外務大臣と中央銀行総裁の2人が年に一回総会に参加する。しかし実権は理事会(米・英・日・独・仏)の24名が握っている。IMFに拠出の多い国順に常任理事国になっている。SDR(お金)を作り、金の相当を定めたが、1981年、ニクソン大統領(米)の代にドルを発行しすぎたため金のバックアップが出来なくなり改正した。世界銀行には、国際復興開発銀行(一般的に私たち[日本]が認識している銀行)、国際開発銀行(貧しい国を対象に支援)、国際金融公社(投資関係を支援)、多国間投資保証機関(投資した際の保障をする)、国際投資紛争解決センター(投資で起こった問題の処理)の5つの機関がある。
1945年、ヤルタ会議で世界平和を保っていくには
(英)チャーチル : 世界平和への大国の責任を持つべきではないか。
(米)ルーズベルト: 恒久平和の保証人であり、国際警備部隊も持つべきではないか。
(ソ)スターリン : 大国はリーダーシップと拒否権を持つべきではないか。
と、3国は主張した。それらの主張は国際連合が創設されるにあたり、国連憲章に取り入れられた。
1945年6月、サンフランシスコ国連創設会議では50カ国が参加し、国連憲章に署名。その後、会議には参加していなかったポーランドが参加し、最終的に51カ国が署名。そして、過半数の国が10月までに国連憲章を批准し、10月24日が国連発足日となった。
国連システムに安全保障システム、植民地独立の助成、経済社会・人道問題への協力が組み込まれた。だがしかし経済分野は資金面の関係でブレトン・ウッズ機構に委託し、体制を整えた。他にも世界には様々な地域機構(EU、ASEAN etc.)があり、それらの機構が国際協力をしていかなければならない。

2、歴史の教訓の反映と新たな対立点
国連憲章を発効するには5大国(安保理常任理事国)の承認と批准を得ることが不可欠であり、総会による新加盟国の承認や国連事務総長の任命には安保理の勧告が必要である。また、総会では連盟の時の全会一致を廃止し、国連では多数決で議決していこうと決められ、国連安全保障理事会の5大国に拒否権をあたえることとした。経済社会問題に積極的に関与していくため連盟にはなかった経済社会理事会を設立した。国連は国際平和、個人の平等と人権を重んじ、憲章に基づいて政策を進めていかなければならない。国連憲章を改正するには全安保理理事国を含めた総会の3分の2による加盟国の批准が必要である。
スイスは永世中立国のため国連には入らないとしていた。そのため中立を守ろうとし、国連ではオブザーバーとして働いていたが、お金を払っているのに一人前に扱ってもらえなかったため、スイス政府が30年かけて国民を説得して国連に加盟した。国連機関は全てスイスにある。
安全保障理事会は15カ国で構成され、常任理事国が5カ国で非常任理事国が10カ国で構成されている。非常任理事国の任期は2年であり、続けて就くことが出来ない。その中でも日本とブラジルが非常任理事国に就いた回数が多い。

3、国際連合の目的と原則
民主主義というと選挙という概念があるかも知れないが、そこには理念が存在し、その中に個人の基本的人権が存在している。
第二次世界大戦の時ですら世界には男女平等という概念が浸透していなかった。例えば1974年まで日本では日本人女性が外国人と結婚した場合に生まれた子供が日本国籍を貰うことが出来なかった。そのため国連がコペンハーゲンでこの問題に関与して世界中に「男女平等であるから、一方の親からの国籍を重んじて受け継げるようにするべきだ」、「人々は国籍関係なしに同等な権利、平等な人権を持つべきである。」と表明した。
第二次世界大戦の見方を変えてみてみると、イギリスやフランスなどは植民地を所有しており、植民地を所有したがっていた帝国主義のドイツ、日本やイタリアが起こした世界的紛争だったと見て取れる。しかしアメリカは昔イギリスの植民地であったため、何事にもおいて平等ということを重んじていた。
すべての加盟国は主権平等の原則に基礎を置き、誠実に憲章の義務に従っていかなければならない。全てにおいて公正であり、武力行使を行ってはいけない。しかしこれらの原則は国連憲章第7章に置く強制措置の適応を妨げるものではない。

4、国際連合の新たな役割
国連で一番重要視されているものが国際平和の維持で、最近クローズアップされてきたものが環境保全である。尚且つ、益々ここ5年間で重要性を帯びてきたものが人権擁護である。なぜなら世界的に価値観が深まり、共通の価値観を持った人権を擁護していかなければならないものになってきたためである。

5、冷戦時代の国連(1945~89年)
中東戦争の時に国連が参入したが、イスラエル問題、ガザ、エジプトの関係でフランス、イスラエル、イギリスが戦争を始めてしまった。それに対し、国連は特別総会を開きUniting for the Peaceという決議案を作った。
朝鮮戦争(1950~51)で国連が始めて国連軍を創設し、16カ国からなる国連軍が動いたが、ハンガリー事件(1956)では国連軍は動くことが出来なかった。なぜならソ連が拒否権を発動したからである。朝鮮戦争時、ソ連では大統領が不在であったため拒否権が発動できなかった。
1960年代に入り、アフリカ、アジア諸国が独立し始め、国連内部が変わってきた。それまで大国が権力を振るってきたが、キューバ問題などでアメリカとロシアが対決していたため国連が参加できなかった。

6、冷戦後の国際平和の維持(1990年以降)
国連の国際平和維持への役割が増え、国連憲章にないこと(核・麻薬・テロ・国内紛争・海賊問題 etc.)が多く起こってきているため、平和維持活動だけではなく、平和構築をしていかなければならない、国連組織を変えていかなければならないという問題が出てきた。
冷戦前の国連平和維持活動3原則として、(1)国連が現地の当事者の合意の下で参入、(2)国連平和維持隊は中性でなければならない、(3)武器の使用禁止。しかし今現在それだけでは平和維持活動が出来ないため、現在の平和構築の目的は「紛争の原因を除去し政治、経済、社会を民主主義的な基盤にして再発防止しなければならない。」としている。

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