【国際機構論】2010年4月20日(火)長谷川祐弘 法政大学教授

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2010年度 法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : 「国際連盟と国際連合の構造と歴史上における意義」
■講 師 : 長谷川祐弘 法政大学教授 
■日 時 : 2010年4月20日(火) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 407教室
■作成者 : 平田 健祐 法政大学法学部国際政治学科2年

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<Ⅰ.講義概要>

1. 国際連盟設立までの歴史的背景
(1)13~17世紀にかけて都市間での通商活動が活発になった。そして、更なる貿易友好関係促進の為に都市間では様々な取り決めが作られ、北欧都市間においては「ハンセアティック連盟」が作られた。結果、通商活動の促進によって、主権国家とまではいかないが自治権を持ったコミュニティーがこの時期に成立した。
(2)17~18世紀を迎えると、ウェストファリア条約締結による主権国家の誕生により、都市間の通商を超えたレベルでの活動、つまり国家間での通商活動が始まった。都市間での通商活動は経済•文化レベルであったが、国家間の取引となると、そこには政治の力が介入する様になった。また、これと同時に植民地獲得競争が世界的に始まった。結果として、「欧州の協調」という枠組みが作られた。これは勢力の均衡(balance of power)を維持して戦争防止を目的とした、主権国家の指導者間の取り決めであった。また、ウイーン会議が2度にわたり開催され、以下の戦争がある程度の原則のもとに行われるべきか協議さらた。これらの国際組織には恒久の事務局は設置されなかった。

(3)1919年、ヴェルサイユ条約の締結によって第一次世界大戦が終結した。その後、戦争の反省を生かし、国際連盟(the League of Nations)が作られた。国際連盟が出来た過程は二つに分けられる。第一にウィルソン大統領の「14ヶ条の平和原則(Fourteen points)」がある。これは二度と戦争を起こさないという理念のもと、平和を実現する方法を14に細分化した物である。第二に、「ヴェルサイユ条約」がある。この条約で取り決められた事項の特徴として、全会一致制が挙げられる。

2.国際連盟の構造について
(1)ヴェルサイユ条約に国際連盟の構造が記載されている。具体的には、第3章で総会を最高意思決定機関、第4章で理事会、第6−7条では事務局が国際連盟には設置されている。また、国際連盟の関係機関として常設国際司法裁判所と国際労働機関がある。
(2)発足当初の常任理事国は、日本・フランス・イタリア・イギリスの四カ国。アメリカは不参加、ソ連は当時出来上がったばかりであった。上記にもある様に、総会を最高意思決定機関とし、議決方法は全会一致制を採用していたなど、国際連合とは異なる部分が多い。
3.国際連盟の崩壊
(1)国際連盟の衰退を満州国の問題を取り扱いながら説明する。満州国は、日本によって作られたのだが、そもそも日本が中国の領土を侵略し、そこに傀儡政権を作ったのが満州国の始まりである。このことを中国は14条に基づいて提訴し、それに対して国際連盟は現地にリットン調査団を送り真相を解明し、報告書を提出した。その報告書の検証後に理事会を介し総会へと持ち寄った。この問題はさっそく総会で取り扱われたが、「満州には、中国の主権の下で自治政府を樹立し、国際連盟から派遣される外国人の顧問の指導のもとで、行政権をもつものとする」という勧告に対してほとんどすべての42カ国が賛成した。反対したのは日本のみであった。結果として、満州国が正当政府であることを主張し続けた日本は国際連盟を脱退した。
(2)また同様の例として、イタリアのエチオピア侵略やドイツの各国への侵略に対しても国際連盟は中止を促した。またソ連がフィンランドに侵入して除名された。この様な状態が続いていき常任理事国は減っていった。最終的に残ったのは常任理事国としてイギリス・フランスの二国のみ、あとは小国だけであった。