【国際機構論】2010年4月27日(火) 長谷川祐弘 法政大学教授

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本日の講義では国際連合が国際連盟の失敗を基にどのような仕組み作りをしたかを説明された。第二次世界大戦のさなか、米英ソを中心に国際連合が作られた。国際連合設立時の中心的原則として、ウェストファリア体制以来の伝統であるバランス・オブ・パワーと集団安全保障、大国の参加などを挙げられた。また、戦後国際機構の成立への動きがWWⅡ中のモスクワ会議、ダンバートンオークス会議、ブレトンウッズ会議などを通して行われたことを説明された。最後に国際連合がどのような機関から成り立っているか、各機関がどのような活動をしているかを説明された。(野田悠将)

2010年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : 「国際機構の役割と構造の変遷」
■講 師 : 長谷川祐弘教授
■日 時 : 2010年4月27日(火) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 306教室
■作成者 : 野田 悠将 法政大学法学部国際政治学科2年

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<Ⅰ.講義概要>

1.国際連盟の挫折から国際社会は何を学んだか?
(1)なぜ国際連盟は第二次世界大戦を防ぐことができなかったかを考える。国際連盟は世界が紛争を起こさないために一致団結して活動した。30件ほどの紛争を起こさずに済んだ。国際連盟として仲介した。ポーランドとドイツの国境問題、コロンビア、ペルーの領土問題などを憲章に基づいて解決を行った。
(2)しかし1930年代に日本、イタリア、ドイツの国際連盟脱退という、集団安全保障の行き詰まりを見せた。1931年に日本による清朝最後の皇帝溥儀を執政として満州国が建国され、同年3月、中華民国の提訴と日本の提案により連盟からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、9月に報告書(リットン報告書)を提出した。そして、その勧告が国際連盟の総会で採択されると、日本は不服として国際連盟を脱退した。同じように、1934年10月、国際連盟がイタリアのエチオピア侵略は憲章違反であるという結論に達すると、これに不服であったイタリアは国際連盟を脱退した。
(3)一方には国際連盟設立の時のヴェルサイユ条約がWWⅠの戦勝国によって作られ、戦勝国の植民地はただちに独立されずに温存された。
(4)また、国際連盟は普遍的な平和を目的としていたか?世界全てを網羅した平和を目的としているが、実際には特定の平和処理しかしていなかった。全てに当てはまる普遍的な平和ではなく、各々の戦争を対処する形で行われた。勝利した側の都合のいい平和ではなかったか。
2.国際連盟の挫折から学んだ教訓
(1)安全保障の原則を取り入れる。その理念とは各国の主権を尊重するということである。つまり、各国の主権は侵されざるものだ。ウィルソン大統領の考えた国際連盟というものはThe League of Nations shall operate as the organized moral force of men throughout the would. また、ウィルソンの平和原則14カ条は国際社会に浸透させるべきものだと考えた。
(2)バランスオブパワーと集団安全保障(collective security)の違いは何か?
バランスオブパワーとは現実主義者いわく、国際社会とは中央政府がない無政府状態の中で、各々の国が、生存と利益をもとめるために同盟を結び、各国の利益を考慮し、全体を見ながら自分のポジションを確認して、自らの国益を高めるものである。例として、WWⅠ時とWWⅡ時の日本の敵国と味方の変化をあげられた。集団安全保障の理念、原則とは、民族自決、国民主権、領土保全と自由民主主義を国際機関を通して守ることである。

3.国際連合設立への動き
第二次世界大戦中から戦後の国際連合、国際機関の設立の動きがあった。
(1)モスクワ会議…1943年全ての国の主権平等な参加をアメリカ代表が提唱した。
(2)ダンバートンオークス会議1944年 国際連合憲章草案 主要な構成…アメリカ、イギリス、フランス、ソ連
(3)ブレトンウッズ会議1944年…ワシントンホテル…戦後の経済体制、ブレトンウッズ体制の基本が作られた。IMF、IBRD(ヨーロッパ、日本など戦争で破壊された国を建て直す役割)、GATT
(4)ヤルタ会談1945年…チャーチル…世界平和への大国の責任、ルーズベルト…恒久平和の保証人、国際警察部隊(いまだ作られず)、スターリン…大国のリーダーシップと拒否権(フランスはドイツ参加にあった。ドイツの傀儡政権ヴィシー政権とフリーフランスby ドゴール)
(5)サンフランシスコ会議1945年…国連憲章 50カ国署名

4.国連の5つの柱
(1)基本的人権を守る。
(2)全ての国が同じ権利を持つ。理想ではあるが、現実とは違うのではないか?
(3)正義と条約、その他国際法を順守する。
(4)国際紛争を処理するのに武力を用いない、二度と戦争をしない。
(5)経済および社会的な発展を促進するために国際機構をつくって推進する。

5.国際連合の目的と原則
(1)目的 平和と安全の維持、経済社会開発活動、環境保全と人道支援、人権と基本的自由の尊重の促進。なかでも今、人権が重要視される。1945年には作られなかったが、国際社会が安定感を持ち始めているという実感から人権問題が重要視されるようになった。
(2)原則 主権平等、憲章に基づく義務(国連予算の分担金を払うことなど)、国際紛争、国際問題の平和的な解決、武力の威嚇行使の禁止(例外として国連憲章第7章に基づく武力行使)、国連の行動を支援する、他国への干渉禁止

6.国際連合創設時の構造

(1)当時51カ国50+ポーランド、現在192カ国。190国目がスイス、191カ国目が東ティモール、192カ国目がモンテネグロである。
(2)主な機関、構成国は以下の通りだ。常任理事国、The Republic of china 中華民国、France フランス、Union of Soviet Socialist Republicsソ連、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland 英国、United States of America アメリカと10の非常任理事国、経済社会理事会、信託統治理事会、総会。
(3)1945年-89年 冷戦終結までの国連の活動
平和維持活動中心で、戦争、紛争に入ってゆき、戦っている国々を分けることが目的であった。第二次中東戦争の際には、アメリカが中心となってUNエマージェンシーフォース、PFKを送った。古いものでは、朝鮮戦争の際に、国連軍創設16カ国の地上軍が参加した。アメリカがこの際、国連軍の主導権を持っていた。しかし、1956年に起きたハンガリー動乱の際には、ソ連の拒否権行使により国連として介入することができなかった。1960年代、多くのアジアアフリカの国々が独立し、国連に加盟した。また、1970年には中国代表権の問題が逆重要事項指定案として解決した。これによって代表権が台湾の中華民国から中国本土の中華人民共和国に移った。
(4)冷戦時代の平和維持活動の3原則 1、紛争当事者の合意を得る。2、平和維持部隊は中立を保つ。3、自己防衛のためのみ武器を使用しようする。

長谷川 祐弘 (はせがわ・すけひろ) ミシガン大学卒業、国際基督教大学大学院修士課程修了、ワシントン大学で国際関係開発学博士号取得。1969年より2006年9月まで国連職員として開発援助、国連平和維持活動に従事。2004年5月より2006年9月まで東ティモール国連事務総長特別代表・国連開発担当調整官・UNDP常駐代表。東ティモ-ル民主共和国大統領特別顧問・親善大使に任命される。法政大学教授。