2025年度京都国際平和構築協会評議会において、上智大学学長であり京都国際平和構築センター評議員でもある杉村美紀氏が、「国際教育の平和構築における役割」をテーマに基調講演を行った。杉村学長は、これまで自身が研究と実践を重ねてきた教育分野における国際的な潮流を踏まえ、持続可能な社会を支える学びのあり方を多角的に論じた。
まず杉村氏は、教育が直面する重要課題としてSDGsの教育目標(SDG4)に掲げられるターゲット4.7――グローバル・シチズンシップ教育(GCED)と持続可能な開発のための教育(ESD)――の重要性を強調した。これらは人権、ジェンダー平等、文化的多様性、持続可能なライフスタイルなどの価値を理解し、行動へと結びつける教育であると述べた。日本では「国連・ESDの10年」以降、ESDが学校教育や地域連携を通じて広く展開され、ユネスコ・スクール(ASPnet)の拡大がその象徴であると指摘した。
さらに、杉村氏はユネスコによる教育勧告の変遷に触れ、1974年の「国際理解・協力・平和及び人権に関する教育勧告」が2023年に全面改訂され、ESDとGCEDが統合された新たな国際的標準が形成されたことを紹介。教育を通じた平和・人権・多文化共生の推進が、国際社会の共通課題となっていると強調した。
講演ではまた、高等教育の国際化と平和構築との関係にも焦点が当てられた。杉村氏は、過去20年で学位取得を目的とする学生の国際移動が多極化し、欧州やアジア太平洋地域を含む複数の学術拠点が並立するようになったと述べた。特に日本では留学生受け入れがコロナ禍後に急速に回復し、政府が40万人規模を目指して支援体制を強化している現状を紹介。一方で、日本人学生の海外留学が短期志向に偏る課題にも触れ、長期派遣やアジア・グローバルサウス地域との相互交流の促進を訴えた。
また、「CAMPUS Asia」などの質保証付きモビリティプログラムや、UMAP、AIMSといった広域ネットワークの意義を挙げつつ、多様な文化・制度を越えた協働の必要性を強調。「教育の力で分断を越え、学習者と社会双方のウェルビーイングを循環させることが、平和構築のレジリエンスを高める」と語った。
最後に杉村氏は、「京都国際平和構築センターという場こそ、教育を通じた対話と協働の文化を実践し、次の平和構築を構想するハブである」と述べ、講演を締めくくった。
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(レポーター 井門孝紀)
杉村美紀学長の基調講演の主旨
今日の話の中心は、国際教育の平和構築における役割である。これまで自分が調べ、実践してきたことを軸にお話しする。
まず、教育が今まさに取り組むべき主要テーマを確認する。SDGsの教育目標(SDG4)のうち、とりわけターゲット4.7が示すグローバル・シチズンシップ教育(GCED)と持続可能な開発のための教育(ESD)は、人権、ジェンダー平等、文化的多様性、持続可能なライフスタイルなどの理解と、行動への接続を要請している。日本でも特に過去二十年ほど、このESDが強く推進され、学校から大学、地域連携に至るまで政策・実務の両面で展開されてきた。ここで、スライドの「4.7」にも触れながら、教育が今後扱うべき論点をいくつか挙げる。GCED(グローバル・シチズンシップ教育)とESDは、平和・人権・環境・多文化共生・包摂を横断する基幹概念であり、単なる知識伝達ではなく、価値・態度・行動を伴う学びの再設計を促す。日本の学校教育では、学習指導要領や学校経営、地域との協働の中に「持続可能な社会の創り手」を育む視点が組み込まれてきた。ユネスコの制度的な枠組みに即して言えば、1974年に採択された「国際理解・協力・平和及び人権に関する教育勧告」が、2023年に全面改訂され、平和・人権・国際理解・協力・基本的自由に、GCEDとESDを統合した新勧告となった。同勧告は、法的拘束力は有しないが、各国の教育政策、教員養成、カリキュラム、評価を方向づける国際的標準として機能している。現在、各国・各機関でESD実施のためのロードマップの整備が進んでいる。コロナ禍の時期には、ユネスコ「教育の未来」国際委員会が2021年に『Reimagining our futures together: A New Social Contract for Education』を公表し、人と人、地球、テクノロジーの関係を結び直す「新しい社会契約」を提示した。このビジョンは、平和構築や人間の安全保障、人道支援といった課題に教育がどう応えるかを再定義し、多言語で普及が進んでいる。日本語版の整備も進展しつつあり、今後、大学・学校現場で参照される
ESDの国内展開については、2005年に始まった「国連・ESDの10年」を通じて実践が蓄積され、2014年のユネスコESD世界会議(愛知・名古屋)で「あいち・なごや宣言」が採択されたことにより、ESDは実装段階へと加速した。日本は国際的にも主導的役割を果たし、以後のグローバル・アクション・プログラム等につながっている。しばしばESDは環境領域に矮小化されがちだが、実際には平和、人権、国際理解、地域包摂、労働や福祉、文化の多様性など、教育の横断領域を包括する。ユネスコ・スクール(ASPnet)の拡大はその象徴であり、日本では小中高校を中心に「国連・ESDの10年」の間にネットワークが大きく拡充した。学校単位でのマネジメントや地域連携、大学との接続を通じ、ESD/GCEDの実践が日常化している。政策面では、2023年に第4期教育振興基本計画が策定され、学びの到達点として、ウェルビーイングとともに持続可能な社会の創り手の育成が明示された。また初等中等から高等教育・社会教育に至る改革の中で、ESDの国内実施計画においては、政策の推進、学習環境の変革、教育者の能力構築、ユースのエンパワーメントと参加の奨励、地域レベルでの活動の促進が。具体的取組の優先行動分野位置づけられている。並行し進められている、次期学習指導要領等の検討が進められているコンピテンシーの育成を核にした学習者中心の学びの制度化が図られている。
一方、平和構築ということでは、高等教育の国際化も大きな役割を果たしている。過去二十年で世界の学位取得目的の国際モビリティは大幅に拡大し
、主要受入国は多極化した。かつて圧倒的だった米国を中心とする一極集中はなくなりし、欧州やアジア太平洋を含む複数の学術拠点が並立する構図へと移行している。地政学的リスクや査証制度の変動が留学先選好に影響しつつも、越境学習は知の往来を通じて相互理解と協力を育む、平和構築の社会的インフラである。日本の状況を見ると、受入留学生数はコロナ禍で落ち込んだ後に急速に回復し、現在は過去最高水準へと反発している。政府は受入四十万人規模を見据え、入国前支援、学修環境整備、地域・企業との接続、卒業後の定着促進までを一体で進めている。
他方、日本人学生の海外留学は長期留学の比率が依然として低く、短期志向が強い。円安や安全保障上のリスク、学位認定・単位互換の設計、経済的支援の不足など複合要因があるため、量と質の双方での底上げが課題である。受入側の構成にも変化がある。日本の留学生はアジア出身が多数を占める傾向が続き、かつて比重の高かった中国・韓国に加え、ネパール、ベトナム、ミャンマー、台湾地域など多様化が進んだ。制度面では、2010年代以降、在留資格の計上方法や日本語教育課程の位置づけが整理され、統計上の見え方も変化している。全体として私費留学生の比率が高い点は日本の特徴であり、受入の質保証や生活・就労支援、学位取得後のキャリア形成をどのように支えるかが重要である。一方、日本人の海外派遣は、長期より短期が多い構造が定着している。長期派遣を増やし、専攻分野や留学先地域を多様化し、学位・単位認定や経済支援を強化することが不可欠である。特に、アジア域内での相互往来や、グローバル・サウス間の南南協力型モビリティの拡充が、平和構築人材の裾野を広げる。
質保証付きの往来枠組みとしては、日中韓による「CAMPUS Asia」(および拡張版のCAMPUS Asia Plus)が挙げられる。パイロットを経て本格実施され、共同教育課程やダブル・ディグリー、ASEANとの連携拡大などにより、東アジアの人材育成と大学間ネットワークを拡充してきた。これに加え、アセアン学生モビリティプログラム(AIMS)や、アジア太平洋域内の学生交流枠組みであるUMAP(University Mobility in Asia and the Pacific)など、広域の学術ネットワークが機能している。さらに、中国を中心とする一帯一路関連の大学連合といった新たなネットワークも形成され、学生・教員の往来、共同研究、学位の相互承認に向けた枠組みが拡充されている。もっとも、道のりは平坦ではない。各国の高等教育戦略、財政、言語政策、評価枠組み(ランキング等)は多様であり、国内の人材育成や社会統合の要請と、国境を越える知の協働という要請をどう調停するかが常に問われている。日本でも、英語課程や多言語科目の拡充、民間・自治体との協働、留学生の就職・定着支援といった施策を進めつつ、教育の質保証、包摂性、地域社会との共生を丁寧に設計する必要がある。学術分野間・国境間の協働に関して言えば、特に中国関連の長期的な研究滞在や双方向の若手研究者育成の機会が細っているという課題がある。他方で、日中の科学技術協力の政府間枠組みや、大学間の共同研究・共同教育プログラムは継続しており、リスク管理とアカデミック・フリーダムのバランスをとりながら再活性化を図ることが重要である。
以上をまとめると、これまで積み重ねられてきたESD/GCEDの流れは、国際的な緊張や人材獲得競争の激化といった潮流と交錯しながらも、越境的な「知の公共圏」を再構築するための基盤であり続けている。大学・研究機関・地域社会・国際機関が結節点となり、学術ネットワークを編成し、対話と協働の文化を醸成することが肝要である。ユネスコ新勧告と「教育の未来」報告が示す方向性を踏まえ、教育の力で分断を越え、学習者のウェルビーイングと社会のウェルビーイングを循環させながら、平和構築のレジリエンスを高めていくべきである。京都国際平和構築センターという場は、まさにその実践を共有し、次の協働を設計するためのハブである。