【国際機構論】2010年7月6日(火) 長谷川祐弘法政大学教授 

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2010年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : ASEANの進展と課題―経済統合を中心に―
■講 師 : 長谷川祐弘 法政大学教授
■日 時 : 2010年7月6日(火) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 306教室
■作成者 : 野田 悠将 法政大学法学部国際政治学科2年

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1.ASEAN設立
本日はASEANについて説明する。ASEANは経済統合を中心に動いている。EUもそうであるが、時間をかけて統合してきた。私も覚えているが、1980年から5年間ジャカルタに次席代表としていた。同時期にASEANもジャカルタに建物を作り、国連なども支援してもらいながら始まった。1967年8月、タイのバンコクでASEANが設立された。原加盟国はタイ、インドネシア、シンガポール、フィリピン、マレーシアの5ヶ国で、いずれも反共主義の立場をとる国であった。各国外相共同の設立宣言は、東南アジア諸国連合設立宣言やバンコク宣言などと呼ばれる。バンコク宣言、5カ国外相会議で採択された。アメリカを中心とした西側、自由主義諸国は、文化大革命とヴェトナム戦争に脅威を感じていた。また、みるとわかるように当時タイに続く経済大国であったヴェトナムは入っていない。冷戦が終わり、ソ連が崩壊するとミャンマーやヴェトナムも加盟した。東ティモールは2012年ころに入れるのではないかと考えられている。

2.制度と組織作り
最高首脳会議は最高意思決定機関である。1回目はスハルト大統領がチェアを務め、バリで行われた。1975年以降、経済閣僚会議が毎年行われるようになった。バンコク宣言から時間がかかっているが、1975年以降は経済のみならず、あらゆる分野、具体的にはエネルギー、農林、環境、観光、運輸、保健などに関して協議し、協力が始まった。これはリベラリズムや自由主義者、またジョセフ・ナイ氏などが言っているように、協力することは自然なことであるという考え方が生まれ、国家間の協力が増えてきている。言い換えればファンクショナリズムつまり機能主義的な考えである。
ASEANとEUと大きく違う点は、EUはあらゆる点において、事務局が力を持ちながら活動している。例としてはブリュッセルに大きな事務局がある。しかし、ASEANにおいては事務局の力はスタッフの少なさなどにより仕事がはかどらないこともあり、大きくない。それではどのように彼らは活動しているか。ASEANは事務局が中心ではなく、各国に調整を任せている。しかし各分野において、タイやヴェトナムの経済産業省にまかせるとすると、意思疎通だけで時間がかかる。私としては、事務局に力を与えて調整していくことが必要だと考える。軍事的安全保障からみると、ARF(アセアン地域フォーラム)というものがあり、これは唯一の政治安全保障、対話フォーラムである。ここに北朝鮮、モンゴル、パキスタンが入っている。これらの3カ国はASEANなどの地域機関に入っていないが、このARFには入っている。2000年頃になると、民主化について話されるようになった。具体的にはミャンマーの民主化についてである。これをどのように達成するかを毎年話し合われている。ジオポリティクスと歴史的展開の2点から考えなければならない。

3.AFTA(ASEAN Free Trade Area)ASEAN自由貿易地域
ASEAN6のブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイとASEAN4のどちらかというと後進国のカンボジア、ラオス、ミャンマー、ヴェトナムがある。ここで私が心配しているのはフィリピンがあまりがんばってないのではないかということだ。UNDPにいたとき、私はアジア局でフィリピンのデスクオフィサーをやっていた。当時はマルコスがいたころであった。1970年代の初めのころはフィリピン、タイ、インドネシア、マレーシアは同じくらいで、今からすると少しおどろくかもしれないがミャンマーはそんな中でよいほうだった。シンガポールはすごい。しきたりを気にしない。科学者であるならばものすごいお金を払って連れてくる。伸びている。その中でまたマレーシアも伸びてきている。このころタイがよくがんばっていたが、少し躓いてしまっているようだ。経済統合のために2003年までに関税率をゼロにしようよということが話し合われているが、後進国はそれを少し遅らせたいと考えている。ここにはたくさんのスキームがある。大事なのは関税をどうするかである。金融の面は難しいが、覚えておいてほしいのは、欧州はこの難しい点を断行したということである。ASEANでは貨幣統合なども踏みきれない。アジア金融危機が1998年に起きたように金融に関する基盤ができていなかった。これにより出てこないのは人の移動である。これはなかなか難しい。ここで少し整理すると、宣言が行われ、その後協力体制がはぐくまれ、ASEANでは核兵器をなくそうという機運があり、東南アジア非核兵器地帯条約が結ばれた。
次にAFTAについて話す。これは1993年にできた自由貿易協定である。これはASEAN内の関税を0~5%ほどに引き下げることで、EU、NAFTAに匹敵するような経済圏を作ろうという構想のことである。昔は関税が高かったが、最近は下がってきている。ASEANの中でも下げようというように動いている。CEPT(Common Effective Preferential Tariff) は、1992年に採択された関税制度で、域内関税(0~5%)化・非関税障壁の撤廃がなされている。しかしAFTA, CEPTの利用率が、貿易全体の約5%と低いことが課題である。実際に現地の人々にあまり使われていないのが課題である。当時ASEANの域内貿易が少なく、日本やアメリカとの貿易が主なものだった。非関税障壁に大きな課題がある。具体的には、農業分野など自国の経済を守らなくてはならないので、輸入許可手続き、技術基準などで規制をしている。他に必要なことはサービスの自由化である。しかし、先進国は自由貿易を勧める一方で、守るところはかたくなに守っている。また、そこには投資の自由化の問題がある。センシティブリストというものがあり、例えば羽田空港や、エネルギーセクターへの海外からの投資に対して、政治が介入し投資させないというものである。FDI(Foreign Direct Investment =海外直接投資)に対してFPI(Foreign Portfolio Investment =海外証券投資)と、二つの投資がある。このうちのFDIを規制するということはどういうことかということが議論されている。世界的にみるとFDIに関しては、日本が一番厳しい。これは制限、規則が多いためである。一方で香港が一番緩い。経済統合された地域内では運輸、関税、製品基準など多くのことを共通化していかなくてはならない。具体的には運転免許証や車検、空港のHUB化、関税率、製品基準の統合(コンセントの差し込み口など)である。また観光についてもビザの発給についても規制を緩和する。これにより域内での観光人口が増え、経済効果があるだろう。

4.共同体としてのASEAN
ここから経済の共同体を超えて、安全保障も含んだ共同体について話す。これには、人権、法の支配、貧困対策、平和構築なども含まれ難しい要素が多々ある。遅れているのはアセアンアイデンティティの形成である。アセアンの共通言語がないことである。各国外相などがASEANは一つだと言うが、民間のレベルまで落とし込めていない。EUと比較すると、なぜASEAN統合のペースが遅いのかという問いがある。国連加盟国は分担金を払わなければならないが、これは各国の支払い能力に応じた額が割り当てられる。しかしASEAN加盟国は各国が同じ額を払わなければならないので、小国にとっては大きすぎる金額が割り当てられてしまう。紛争解決の手続きが利用されておらず、問題を解決しないままでいる。保護主義が強く、政治的に一緒にやるという機運がまだない。これを解決するためにどうすべきであろうか。中国、インドとの競争に生き残るためにASEANは統合していかないとならない。ASEANの総人口は4億人ほどで、これはEUに匹敵し、アメリカより多い。しかし、インド、中国には勝てない。やはりこの二つの国と競争するにはASEAN諸国は統合する必要がある。今までコンセンサスベースでやってきたがこれでは遅い。もっと加速化していかなければならない。競争力強化のため、FDI誘致のために投資環境を改善しなければならない。

5.日本とASEANの関係
日本はASEAN第一回首脳会議からオブザーバーとして参加するなど、首相が毎回参加しているように良好な関係を築いている。また日本はODAを通じてASEANと緊密な経済的関係を保っている。中国、韓国に比べて、ASEAN諸国とりわけインドネシアからの対日信頼感は高い。これを基にASEANとのEPA・CEPTを進めている。しかし日本からASEANとの貿易を増やそうという声が少ない。このEPAとは域内での貿易、投資の自由化、人の移動、知的財産保護などのルール作りや協力といった包括的なものである。これはWTOから例外として認められている。難しいのは農業自由化の問題で、これは単に経済だけの問題ではなく、政治の問題でもあるからだ。この問題ではヨーロッパでも同様であるように変わらないだろう。また、人、サービスの移動の自由化の問題がある。人口が減少するなかで、厳しい仕事などの分野で外国人労働者の受け入れをしていることや、外国人看護師の受け入れ問題などの問題と、国際交流を活発化する動きの一環として大学など教育機関で外国人学生を受け入れる動きが活発化していることなどがあげられる。外国人の受け入れに関し、抵抗があるようであるがこれは文化の問題があると考える。外国人が増え、母国語以外の言葉が当たり前に話されるということに恐れを抱くといったようなものである。
最後に日本のASEANへのODA金額をみると、徐々に下がってきている。ASEANの39%を占めていたものは、30%ほどまで落ちた。これは当然のことである。一方で二国間援助は増えつつある。アフリカ向けのものは強化されているように思える。日本の援助も変わってきており、インフラの分野ではとりわけ新幹線や原子力発電所建設などの売り込みや、キャパシティービルディングの分野やデジタルディバイドの問題へのとりくみをしている。ASEANの通貨統合はまだまだ遠いように思える。最後に、ASEANとの主要貿易国としての日本の地位が落ちてきていることを指摘する。これはASEAN域内での貿易が増えており、各国が少しずつ豊かになっており、日本や米国からの援助に頼りきる必要がなくなりつつあるからである。これはASEANにとってよいことである。講義の最後に、ASEANの経済統合は少しずつではあるが進んできており、成果をあげてきていると言える。