【国際機構論】2009年6月9日(水)長谷川 祐弘 法政大学教授

2009年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ :「国連安全保障理事会の重要性と平和の維持」
■講 師 :長谷川 祐弘 法政大学教授
■日 時 :2009年6月9日(火) 13:30~15:00
■場 所 :法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎 309教室
■作成者 :望月 麻衣 法政大学法学部国際政治学科3年

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<Ⅰ.講義概要>

1.安全保障理事会と平和維持活動の概要
(1)現在安全保障理事会で最も検討されているものは北朝鮮の核問題である。この1・2週間、日本とアメリカが提案して決議案を通そうとしているがなかなか思った通りに進行しないでいる。
(2)国連憲章で定めてある「正解平和と安全」を維持する為に安全保障理事会が今まで認可した平和活動は、はじめに紛争予防、2つ目に平和創造、3つ目に平和執行があげられる。平和執行を行うにあたって軍事的な介入もあり得る。紛争がコントロールされ、停戦が合意された後は4つ目として平和維持活動が行われてきた。そして、今までずっと平和維持活動をしてきたのだが、それでは紛争が再発するのを防ぐのに不十分であるため、平和構築を行うようになった。
2.国連平和維持活動の誕生と発展
(1)国連の重要な役割は国連憲章の序文で書かれている「世界の平和と安全を維持すること」である。
(2)国連平和維持活動は国家と国家との衝突を止めるために1946年から行われている。初めて平和維持活動が行われたのは、イスラエルとアラブ諸国との衝突であった時である。
(3)平和維持活動のマンデートとは何か。マンデートとはその機関が一体どのようなことをすべきであるかという任務、つまり目的や役割を示す。そして今日は安保理の役割、構造はどのようなものか、平和維持の理念とはどのようなものかを話していく。

3.安全保障理事会の仕組み
(1)安全保障理事会は15カ国の理事国から構成されている。
(2)私が東ティモールにいたころに開いた安全保障理事会の会議では、東ティモールの平和維持活動の状況を報告し、報告に基づいて書かれた事務総長の提案に対して安保理で決議を行った。
(3)現在では北朝鮮の問題において、決議にするか議長声明にするかが討議されているか、決議案が採択されそうである。
(4)安保理は1か月に1度議長が変わる。つまり15カ国が集まっているため、1年3か月毎に1度の頻度で議長が回ってくる仕組みになっている。

4.国連憲章第5章安全保障理事会
(1)安全保障理事国は大きな権限を持っており、第25章では決議が決まった場合には加盟国はそれを執行するように協力しなければならないとしている。つまり、国連加盟国になった場合、安保理で決定したことについては必ず従わなければならないということです。
(2)第23条の1での記述において中国とロシアがそれぞれ中華民国(The Republic of China)・ソヴィエト社会主義共和国連邦(The Union of Soviet Socialist Republics)となっている。その理由は、中華民国とは毛沢東の率いる中国共産党に追われて本土を出て行った蒋介石一党が現在の台湾に一時的に作った国の政府である。現在では国連は台湾を国家として認めていないが、当時ではその中華民国が中国を代表する国として国連の加盟国とされた。しかし、ここでいう中国がどの政府により代表されるかということが問題である。ソ連に関しては、崩壊した後にロシア連邦が引きつくということである。そして、アメリカやほかの加盟国が受け入れたので問題とならなかった。
(3)第23条の2では5大国の他に4カ国であった非常任理事国の数を、1963年に理事国を11から15に増やし、非常任理事国も4つから9つに増やした。日本も非常任理事国に数回立候補し、その任務を遂行してきたが、非常任理事国としての2年間の役割を2回続けて担うことはできない。
(4)第27条では、決議を行うときは15カ国のうち9カ国の非常任理事国の賛成が必要であるとしている。そして、その9票には常任理事国の5票が入っていることが必ず必要である。常任理事国が反対して決議案を無効にすることを拒否権という。つまり常任理事国の1カ国でもNOと言った場合はその決議案は通らない。現在北朝鮮の問題に関して中国が決議案を通すことに反対しているため、議論が停滞している。
(5)第24条では安全保障理事会の任務と権限として安全保障理事会はいつでも開催されなければならないとしている。その任務として1つ目に安全保障理事会は報道声明を出すこと、2つ目に安全保障理事会は議長声明を出すこと、3つ目に安全保障理事会が決議案を採択することである。決議案は国際法としての意味を持つので、安保理の重要な役割である。

5.国連憲章第6章紛争の平和的解決
(1)33条では、軍事的に解決するのではなく、交渉や仲介、調停、裁判、司法的な解決、地域的機関により解決すべきであるとしている。現在、中国は北朝鮮の問題に対して33条に基づき、決議案で制裁を下すのではなく平和的方法で解決することを訴えている。
(2)また35条においては、何かが起こった場合は自分たちで行動するのではなく安保理で話し合うべきだとしている。
(3)そして37条の1では紛争の解決ができなかった場合は安全保障理事国に付託し、安全保障理事国はその紛争の継続が国際の平和を脅かす場合は36条に基づく行動をとるか、適当とされる解決条件を勧告する決定しなければならないとしている。9.11のテロ事件の後の、2003年にはブッシュ元大統領は安保理にイラクへの介入を提案したが、中・露・仏は反対した。そこでアメリカは安保理決議を無視し、単独で行動を起こした。
(4)38条では紛争当事者に対して安保理は勧告することができるとしている。たとえば、北朝鮮がミサイルを発射する可能性があるとして日本が安保理にその問題を付託した場合、安保理は北朝鮮に対して止めるように勧告することができる。しかしその勧告を無視することも出来るのである。これに対して7章で平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動が定められている。

6.国連憲章第7章:平和に対する脅威、平和の破壊、及び侵略行為に関する行動
(1)39条において安全が脅かされた時には41、42条に従っていかなる措置をとるか決定できるとしている。
(2)41条では、紛争を起こそうとしている国があったら軍事行動を取る前に様々な手段でそれを阻止するとしている。現在安全保障理事会では、41条に基づいて軍事行動を取る前に北朝鮮の輸出品を乗せた船を検査することができるとしたが、北朝鮮はそれに対して航海の自由を侵害する行為だとして反論している。
(3)42条においては、41条に基づいて電信、航空の制限を行っても解決することができなかった場合は、軍事行動を取ることが出来るとしている。つまり、空軍・海軍・陸軍の行動を取ることが出来るのだが、国連は軍隊をもっていないために加盟国の軍隊に頼っている。

7.国連憲章第8章:地域的取極
(1)52条では紛争解決にあたって地域的機関を利用することができるとしている。
(2)しかし53条では、地域的機関を使用し、安全保障行動を委託することはできるが、地域的機関は安保理の委託なしにその行動をとることはできない。つまり、安保理の委託がその行動に正統性を与えるということである。

8.国連平和維持活動の伝統的概念
(1)平和維持活動において重要なのは事務局の役割であり、バンギムン事務総長の下に様々な部局がある。その中でもDPKOが平和維持活動を担当する部門である。ここでは世界で約10万人以上の兵士が平和維持活動に従事している。最近では、平和維持局は2つに分かれており、1つはオペレーションを行い、もう1つはそれを後方支援する部門である。
(2)初期の国連平和維持活動は、停戦地帯に兵士を送り監視するだけで、それでも紛争をやめない場合はまた安保理が勧告を出すというものだった。
(3)国連平和維持活動は1947年に中近東で始まり、それはInter-state conflictであった。国連は第二次世界大戦のような悲劇を二度と起こさないように作った機関であったので、これは必ず止めなければならなかった。
(4)当時の平和維持活動の特徴は、戦場に入っていき紛争の仲介を行い、監視し、紛争の状況をNYに報告するもので、ほとんど軍隊が動くことがなかった。これをstatic military operationという。
(5)そして伝統的な原則がある。まず1つ目に当事者の合意が必要となる。合意なしに入って行った場合は紛争に巻き込まれてしまう危険性があるからだ。
(6)2つ目に公平性である。英語ではimpartialityといい、neutralではない。いくら中立であっても正統性がなければならない。
(7)3つ目に自衛のための武力行使である。紛争当事者同士が紛争になりそうになっても武力で止められない。国連も自衛のためにのみしか武力行使を出来なかったので、ルワンダで悲劇が起った。目の前で女性や子供が殺されていても、自分たちが攻撃を受けない限り攻撃ができなかった為に、多くの犠牲者を出すこととなった。
(8)伝統的な平和維持活動とは、和平合意の実施、停戦監視、紛争地帯のパトロールなどであり、敵対勢力間の仲介し平和的手段で紛争行為の停止を目的とし行ってきた。

9.冷戦後の平和維持活動
(1)冷戦後に国内および地域紛争が多発した。たとえばカンボジア、ルワンダ、コソボ、東ティモールなどがある。
(2)冷戦後の新たな平和維持活動は1994年のルワンダでの失敗以後にはどん底の時代であった。紛争が国家間のものから国内紛争へと移り変わった。そこで、ブラヒミが国連平和維持活動への課題として報告書を作成したのである。その後どうなったかは次回の講義で講義を行います。