【国際機構論】2009年12月22日 IOM駐日事務所 中山暁雄様

本日はIOM駐日事務所より中山暁雄氏をお招きして講義を行いました。IOMの概要や活動についてご説明なされた後に現在、日本政府とIOMが取り組んでいる難民の第三国定住についてお話していただきました。また人身取り引きの現状や問題についてはガーナやソマリアを例に挙げ、その地域でのIOMの支援活動についても述べられました。遠い国での問題ということではなく、日本でも重要な問題の一つであるという認識を改めて感じました。〈與古田 葵〉009年度法政大学法学部 「国際機構論」 ■テーマ : IOMの活動と国際移民問題 ■講 師 : 中山 暁雄 氏 IOM駐日事務所代表 ■日 時 : 2009年12月22日(火) 13:30~15:00 ■場 所 : 法政大学市谷キャンパス 富士見校舎 ■作成者 : 溝口 習 法政大学法学部国際政治学科3年 **************************************** <Ⅰ.講義概要> 1.IOMの概要 (1)IOMは国連のシステムに属していない国際機関であるが、国連とは密接な協力関係にある。その予算は年間約10億ドルにのぼり、UNHCRなどの主要な国連機関と同等の予算規模となっている。移住・移民関係の支援を活動内容とし、主に移民への直接的な支援を行ってきたが、その活動は途上国や平和構築の現場のみにおいて行われるのではなく、先進国も対象となる珍しい国際機関である。日本は1993年に加盟を果たした。 2.移民とは何か (1)移民の定義は様々な機関や団体によって異なるが、国連統計委員会によると、通常の居住地以外の国に移動して、少なくとも12ヶ月間その国に居住する人のことを移民という。近年では永住的移民のみでなく、短期間に移動を繰り返す移民(circular migration)も増え、移民という概念が多様化してきている。 (2)近年の移民の増加と聞くと、グローバル化に伴う国境を越えた人の移動の活発化というように、グローバル化の影響が考えられるが、原因はそれだけではない。グローバル化の進展以前に、19世紀半ばから20世紀前半まで、5000万人のヨーロッパ人がアメリカやカナダに移住するという、当時の交通手段の発展具合からみると極めて大規模な移住がみられた。日本も移民を出しており、ブラジルには約130万人、アメリカには約100万人の日系人がいるといわれている。  国連人口部の統計によると、現在、2億人以上の国境を越えた移民が存在するが、世界の総人口に占める移民の割合が劇的に増えているわけではない。比較的急激に増えた期間は1985年から2000年にかけてであるが、その主な要因はソ連の崩壊である。移民の増加の原因は、政治的な要因が非常に大きいといえる。 (3)現在、世界中に存在する移民の分布をみてみると、アメリカが最も多いのは言うまでもないが、ヨーロッパには約6400万人もの移民が存在し、ヨーロッパの全人口の約1割が移民である。フランス・ドイツなどの主要国ではその割合は15%いじょうにもなる。  アジアでは5300万人だが、中国・インドなど、人口が多い国の存在を考えると、それほど多くはないといえる。 (4)移住には大きく分けて、自発的な移住(voluntary migration)と非自発的な移住(forced migration)の二つがあり、非自発的な移住は紛争、迫害、人権侵害、自然災害などの強制的な要因によって移住を迫られる状況のことをいう。我々が行う人道支援は、この非自発的な移住に対応しており、対象は難民、国内避難民、被災者、人身取引被害者などが代表的な形態である。特に国内避難民は大きな割合を占めている。  自発的な移住には、出稼ぎ労働などが挙げられるが、自発的な理由によって移住した移民のなかから、人身取引などの被害者が多数でており、その違いを断定することは難しい。 3.なぜ移動するのか (1)人が移動するのには、押し出す要因(push factor)と引きつける要因(pull factor)がある。Push factor は移住の原因となるマイナス要素のことであり、戦争、迫害、自然災害、貧困、高い失業率などが挙げられる。  一方pull factor は受け入れ国でのプラス要素のことであり、比較的高い賃金、高い労働求人率、平和的な環境、文化的魅力などが挙げられる。  ヨーロッパへの移民には、旧植民地から旧宗主国へといった構図がみられた。これには、使用できる言語上の問題があり、pull factor として歴史・言語・文化的な役割も非常に大きいといえる。 (2)かつて移住と言えば貧困や失業などのマイナス要因をイメージさせ、ネガティブなものとしてとらえられていた。しかし、近年では開発の効果をもたらしているのではという良い評価を受けている。  世界全体で年間約4400億ドルもの海外送金が出稼ぎ労働者によって行われている。失業率が高い国から人が移動することによって失業率は低下し、先進国の知識・技術を本国にもたらすことができる。また、労働力不足に悩む受け入れ国はその悩みを解消することができる。  もちろん、人材の流出やホスト社会との摩擦、差別、搾取といったマイナス効果もあるが、トータルでみるとプラスの効果のほうが大きい。また、プラスの効果は国際協力によって増大させることもできる。 4.移民保護への取り組み (1)移民は相対的に弱い立場にあり、多くの場合本国と移住先双方から十分な保護を受けられない。これに対して国際移住法を整備しようとする動きがある。  国際移住法は、既存の国際法、地域的条約、国内法のなかでも特に移民の保護に関する項目を整理し、体系化したものである。 (2)国際法として広く知られている国際人権法をみると、特に移民の保護に関するものとしては、移住労働者権利条約にある。しかし、この条約は42カ国しか批准しておらず、そのすべてが途上国である。先進国であり、多数の移民を受け入れてきたアメリカやカナダを含め、日本もこの条約には批准していない。  移民の権利保護、特に不正規滞在をしている者の権利をどこまで保障するかが争点となっている。 これに対して、移民に関する最も古い法体系として確立されているのが国際難民法である。近年、人身取引被害者の保護制度も急速に発達しいてきている。 5.移民保護の具体的事例 (1)スリランカでは最近まで内戦が続き、多くの国内避難民が発生した。また、南インドに難民が流出し、旧宗主国であるイギリスに留学をしたり国外に庇護申請をするものも現れた。加えて、スリランカ政府が行っていた政策により多くの移住労働者が国外へ流出していた。このように、多種多様な移住形態が同時進行で発生している。 (2)ガーナでは漁業で強制労働に従事させられていたこどもを、IOMが救出・保護し、親元に帰して、社会復帰を支援してきた。 (3)ソマリアでは紛争、旱魃、食糧危機によって国外へ逃れようとする人が増えたが、そのうち大勢が途中で死亡または行方不明となった。ソマリアの海賊対策として航海していた艦船が密航者を乗せた船を発見し、救出・保護するというケースが見られた。 6.日本とIOMの活動 (1)タイ南部のミャンマーとの国境に位置する難民キャンプにはミャンマーから約10万人の難民が流入してきている。タイ政府は難民に対し、一時的な保護を許可しているが、恒常的な定住は認めていない。しかし、難民の帰国の目途がついていないのが現状である。これに対し、アメリカ・カナダ・オーストラリア・ヨーロッパ諸国が、毎年受け入れ枠を設けて、難民を受け入れている(第三国定住)。日本は2010年から難民の第三国定住パイロット事業を行うこととなっており、第三国定住を受け入れることとなっている。 (2)人身取引に関しては、1990年代から大きな国際問題となっていたが、対策のベースとなる法律が不整備であったため、対策は行われてこなかった。  日本政府は2002年12月、国際組織犯罪防止条約の付属議定書である人身取引議定書に署名した。これによって包括的な人身取引対策を行う義務を負うようになり、日本政府として人身取引対策を行う法的ベースができた。  2004年4月、人身取引対策に関する関係省庁連絡会議が設立され、12月には人身取引対策行動計画が策定され、以降、IOMが日本で保護された被害者の本国への自発的な帰国とその後の社会復帰支援活動を行っている。これは、日本政府からの拠出金によって、日本で保護された人身取引被害者に対してIOMが直接的に支援を行うという大変画期的なものであった。背景には日本政府とIOMの幅広い協力がある。 (3)第三国定住は、IOM予算の約3割を占める事業で、IOMの中心的活動である。その理由にはIOM設立の背景がある。 IOMは1951年にヨーロッパで設立された機関で第二次世界大戦後に発生した避難民問題を解決することを目的として設立された。第二次世界大戦後、ヨーロッパで大量に発生した避難民は、戦争被害によりヨーロッパが壊滅的な状況にあったため、ヨーロッパ内で定住することが難しかった。戦争の被害をあまり受けていない、アメリカ・カナダ・ラテンアメリカ・オーストラリア・カナダ・ニュージーランドへ移住という解決策を実施するためにIOMの前身であるICEMが設立された。このことが、IOMの主要事業である第三国定住の原型となったのである。 (4)第三国定住難民は限りなく移民に近い概念である。現在、第三国定住を受け入れている国は日本を含め12カ国である。2009年の第三国定住難民の受入数は、世界全体で12万人、アメリカに8万2000人、カナダに1万2000人、オーストラリアに9000人、北欧諸国(フィンランド・スウェーデン・ノルウェー・デンマーク)に8000人となっている。 (5)難民の第三国定住の流れとしては、IOMは受け入れ確定後の支援を担っている。UNHCRが難民のリストを受け入れ国に提出し、難民の選定過程に入る。受け入れが確定した段階で受入国からIOMに対して移住手配の依頼がくる。 健康診断、語学研修、出発前のオリエンテーション、渡航文書・ビザの手配、渡航など をIOMが支援し、入国後の定住支援は主に受け入れ国のNGOなどが行う。 (6)1980年代以降、日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれるこどもが急増した。 しかし、父親が養育の義務を放棄し、母親と子供がフィリピンに取り残されるというケースが多くみられた。近年、このこどもたちが悪質なブローカーの標的になっている。 これに対して、日本・フィリピン両国内支援ネットワークを構築し、こどもたちが合法的に日本に帰国して自立するための援助を行っている。 (7)文部科学省からの拠出金で日本に定住しているが、学校に通えていない外国出身の子どもたちを公立学校に通えるように支援している 日本は先進国であり、世界有数のODA拠出国である一方、移民が定住した後の受け皿が非常に弱いと言われるように、日本国内ではこのような課題が山積している。 <Ⅱ.質疑応答> Q.スフィア基準について A.赤十字やNGOを中心に行われたイニシアティブのことで、人道援助を行う際の最低基準を定めたものがスフィア基準である。現在では、IOMをはじめ、国連機関、人道援助に携わるNGOのほとんどの団体がスフィア基準を守っている。 スフィア基準の大きな特徴は内容が具体的であることで、人道援助を行う際には欠かせない基準となっている。…

2009-12-22
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【国際機構論】2009年12月15日(火) UNDG 中村 俊裕様

今回の講義は国連開発グループの中村俊裕様をお招きし、国連改革について講義をしていただきました。
前半は国連を取り巻く環境について説明され、後半はご自身の赴任先でもあったシエラレオネでの統合ミッションについて説明されました。
講義後、学生からの質問にも答えていただきました。〈中村 哲〉

2009-12-15
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【国際機構論】2009年12月8日(火)長 有紀枝様 NPO法人 難民を助ける会 理事長

本日は、難民を助ける会理事長の、長 有紀枝さんをお招きして行いました。 講義の内容は、NGO台頭の背景や、NGOの語義・定義・語源・歴史的沿革、国際NGO・現地NGO・CBOのそれぞれの特徴、更には、これからのNGOの課題について、非常に分かりやすく、且つ包括的な講義をしていただきました。また、生徒の質問にも丁寧にお答えくださいました。〈内藤 裕希〉

2009-12-08
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【国際機構論】2009年12月1日(火) 髙橋一生氏 国連大学客員教授

今回の授業では、国連大学客員教授の髙橋一生様よりOECDについて講義いただきました。OECDの設立や目的、取組について、戦後の歴史を辿りながら詳細に説明していただき、時代の変遷に伴うOECDの役割の変化を詳しく学ぶことができました。 〈田島 康平〉 2009年度法政大学法学部 「国際機構論」 ■テーマ : 「OECDと現代史の展開」 ■講 師 : 高橋 一生 氏 国連大学客員教授 ■日 時 : 2009年12月1日(火) 13:30~15:00 ■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見坂校舎 309教室 ■作成者 : 田島 康平 法政大学法学部国際政治学科3年 **************************************** <Ⅰ.講義概要> 1.2つのシステムの崩壊 (1)近代史上の重要なテーマは国家と市場が経済や社会の運営にそれぞれどのような役割を果たすべきかであった。国家に大きな比重を置いて社会を見る見方や市場に基本的なものを任せる社会のありようが18世紀から人類のテーマだったが、この20年で明確な結論が出た。20年前の1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、人間の理性に基づいて公平な社会が実現できるという前提の下に、その理性を国家に託した社会主義というシステムが崩壊し始めた。そして、2年のうちに東西冷戦の一方の雄であったソ連を中心とした体制は崩れたのである。これにより、国家を中心とした社会の運営というアプローチは否定され、一人ひとりの可能性は国家にはコントロールできない豊かなものであるという人間観が生まれた。 (2)国家による社会の運営が否定された反動として、1990年代には市場が過度に信用されるようになった。しかし、昨年9月のリーマンショックにより、アメリカを震源地として世界経済が破綻しそうになった。主要国や新興国が足並みをそろえ、自国の運営を通して世界経済を支え、世界経済は持ちこたえようとしている。これにより、市場に任せておけば、いいというのも間違いであることがはっきりした。市場に任せてきたつけを国家がこの1年間払い続けてきたが、未だに不安定な状況が続いている。 (3)国家か、それとも市場であるかが3世紀を通じて、議論や国家体制を通じて争われてきたが、この20年のうちにそのいずれも否定される結論が出て、新たな道を模索しなければならない時代になった。市場を中心としながらも、国家を中心とした公的な機関がそれなりの役割を果たさなければ、国家や世界の経済社会の運営は成り立たないと考えられている。その適正な姿が経済開発協力機構(OECD)を中心として模索され始めている。 2.欧州経済協力機構(OEEC)から経済協力開発機構(OECD)へ (1)第二次大戦後、世界はソ連を中心とした社会主義諸国とアメリカを中心とした自由主義諸国に分かれて冷戦が始まり、1947年からその対立構造が明確になった。冷戦が明確化し、その対応や明確な状況そのものを作り出した力学がOECDの元になる機関を作り出した。 (2)1945年8月に日本が降伏することによって第二次大戦が終了したが、1945年12月から1646年の冬にかけてヨーロッパや日本は飢餓に苦しみ、共産主義運動が世界的に活発になった。ソ連はこれを好機とみて、世界共産主義運動を盛大に展開し、各国の共産党は勢いづき、西ヨーロッパ諸国は政権が脅かされるようになる。また、世界経済の半分を占めるアメリカも輸出先がなく、世界を市場にする必要があったが、中心の市場であるヨーロッパが共産主義に席巻されようとしていたため、自国のためにヨーロッパを救うことにし、日本にも巨大な支援態勢をとることに決定した。 (3)1947年6月5日にジョージ・マーシャル国務長官がハーバード大で演説を行い、ヨーロッパに巨大な支援を行うことを発表した。支援内容は1948年から具体化され、1952年までの5年間で当時のアメリカのGDPの2%分が毎年ヨーロッパに援助され、その一部は日本にも渡った。国際社会の新参者であったアメリカは援助の振り分けを古参者のヨーロッパ諸国に依頼し、ヨーロッパ諸国はOEEC(Organization for European Economic Cooperation)を設立してアメリカからの援助を管理し、復興を進めていった。 (4)5年後、ヨーロッパは復興を果たし、OEECはヨーロッパ諸国がアメリカと協力して経済運営をするための相談の場に変化した。1950年代末には、OEECはこれまでの役割を終え、抜本的に改革をする必要があると主張されるようになった。冷戦が深刻化する中で、西側諸国が市場を中心とした経済運営の優位を世界に示す必要があったためである。OEECは西ヨーロッパ諸国にアメリカとカナダを加え、市場中心の経済体制を強化していくための組織に転換された。1960年12月に条約が調印され、1961年9月にOECDが発足した。 3.OECDの目的と手続き (1)OECDの目的は2つである。1つ目は貿易の促進に必要な加盟国の経済体制の自由化や財政規律と通貨規律の維持を促進することである。2つ目は加盟国の協力により世界全体に貢献することである。OECDの発足時に数多く独立したアフリカを含めた開発途上国への支援に向けた協力や相談を進めた。日本は開発途上国への支援に関してはOEEC時代から携わっており、組織全体に加盟したのは東京オリンピックが開催された1964年であった。これにより、日本は先進国として国際社会に認知されるようになる。 (2)OECDでの作業は民主主義と市場、非常に高度な教育を受けた人材を前提としている。OECDは紳士のクラブであるという認識から投票による決定はなじまず、議論を尽くせば互いに納得いく結論に達せるという考えから、コンセンサスによる決定を行なっている。また、様々な政策分野で協議をして結論を出し、その執行を確認するプロセスでconfrontation procedure(対立手続き)を採用している。これは全ての委員会で基本となっている。例えば、援助問題に関して、主要援助国は仲間(peer)から対立され、それに対して申し開きができなければならない。日本が援助審査を受ける場合、第三者の立場から事務局が日本の援助を分析し、さらに二カ国が審査国として指名され、日本の援助を各立場から厳しく審査や分析を行なう。それらに加え、世銀やIMF、UNDPといった国際機関がオブザーバーとして参加し、自分の新しい政策の方向が委員会の議論内容から外れないように努力している。最終的に委員会の委員長が結論をまとめ、2つの作業を行なう。1つ目はプレスへの発表で委員長は審査をどう見ていたのかを述べる。2つ目は審査された国の首脳に書簡を出し、公表できない問題を知らせ、首脳の責任の下に改善を図るように勧告する。 (3)G7・G8に代わってG20が世界経済の運営を考えていく事とそこでの決定がどう執行されているかを互いに審査することが合意された。また、審査に必要な資料を世銀とIMFが提供することが決定した。これはOECDの対立手続きを採用し、世界経済の運営に活かそうとしていると考えられる。ただし、OECDが対立手続きを採用した背景には同質の社会があり、激しく対立したとしてもそれが問題解決のために有効であるという前提を共有していた。G20の場合では、先進国と中国、インド、ブラジルなどとの間では同質性が極めて希薄であり、対立手続きが成り立つかどうかという問題に直面すると考えられる。 4.西側サミット (1)サミットが開始されたことにより、1970年代半ばに入るとOECDの役割に変化が生じた。ジスカールデスタン仏大統領とシュミット西独首相が中心になり、1973年の第1次オイルショックによる世界経済の悪化に西側諸国が何も対応できなかったことを省みて、首脳が集まって様々な問題を協議することを提案し、第1回サミットがパリ郊外のランブイエで開催された。OECDにとってはサミットをどう活用するかが重要な課題になった。1975年の第1回のサミットでは協議する問題を経済問題に限定し、西側5カ国の首脳が集まって協議が行われたが、準備不足により成果を上げることができなかった。OECDの各委員会がサミットの準備を行なうことになり、西側諸国はOECDを通じてサミットの準備を行ない、サミットでの決定を全加盟国で共有して執行していくことになった。OECDはサミットを通じて世界経済を運営していくようになった。当時は冷戦構造が確立されていたために危機が発生しにくい状態であったが、まれに発生する危機に備えてOECDはG7と連動して危機管理を行なっていた。 5.冷戦終結と市場化 (1)1989年になると冷戦が終わり始めたことにより、崩壊状況にあった旧社会主義諸国の復興が新たな問題となった。OECDは旧社会主義諸国を世界経済に復帰させるために各国に経済政策の専門家を派遣するなどして政策支援を進めた。また、世銀やIMF、欧州開発銀行を使いながら、各国の経済や社会の安定化に努めた。冷戦終結直後の課題が国際社会に上ったときに、非メンバー国に直接支援したことはもう1つの課題にとって重要だった。 (2)もう1つの主要課題は市場を中心にして経済を運営していくグローバル化であった。市場の役割をどのよう強化すべきか、世界経済の効率的な運営をどうするべきかをマクロ経済政策やミクロ経済政策、貿易、投資などの様々な視点から追求していくことがOECDのもう1つの大きな役割となった。グローバル化については加盟国の内部に限らず、加盟国と非加盟国との関係が重要な側面を持つようになり、OECDが果たしていた加盟国を拘束する政策決定の場という役割から、非加盟国も含めて世界経済を運営するためのシンクタンクへと1990年代を通じてその役割を変えていった。 (3)世界最大で最優秀のシンクタンクと評価されるようになったが、逆に言えば、政策協議の場からシンクタンクへと大きく性格を変えていることを意味していた。1990年代は市場化の方向で世界を導いていたが、1997年7月のバーツ暴落に始まったアジア通貨危機により、世界の認識は浅かったものの市場一辺倒への危険性が認識されるようになった。これをきっかけにOECDは市場化の光だけでなく、グローバル化の影の部分にも焦点を当てて世界に警告を発していくように2000年前後に方向転換をした。その一環として移民や貧困などの様々な問題に焦点を当てていき、特に教育に関する問題についても取り組んできた。 6.新第三の道アプローチの模索 (1)方向転換を遂げていく中で昨年のリーマンショックが発生し、それまでの作業をベースにして世界全体で市場を中心としながらも公的な機関がそれなりの役割を果たしていくという第三の道アプローチを推進していくことになった。これは市場でも政府でもない、1990年代のヨーロッパの社会民主主義政党が掲げていた方向である。ヨーロッパでは実践されてきたが、世界政治経済においてはどう具体化すべきかが大きなテーマとなっている。 (2)OECDは具体化に向けた作業を行なっており、その1つにGDPに代わる新たな指標の開発を進めている。OECD は1970年代にGross National IndicatorとしてGross National Welfareの指標化を進めていたが、第1次オイルショックによって最初の試みは頓挫してしまった。それから30年以上経過して、新たに国民の生活の在りようを指標化すれば、世界各国の置かれている状況が理解できるのではないかという考えが生まれ、そこには主観的な幸福や満足を数量化して組み込むことが提案されている。この一例としてブータンのGross National Happinessがある。各国にどれだけの国力があるのかは包括的に見て判断しなければならないが、この100年間はそれもままならない状態で国の単位を扱ってきたいい加減な時代であった。グローバル化を向かえてようやく国全体が主観的な要素を含めて満足できるかが第三の道アプローチの一環として様々な政策を実施するなかで考えられるようになってきた。この傾向を喜んでいるのは鳩山首相なのかもしれない。友愛はフランス革命で謳われた自由、平等、博愛の博愛に相当するものである。フランス革命後、世界は博愛を抜きにして、自由か平等かで愚かなイデオロギー対立を繰り返してきた。自由か平等かではなく、博愛を抜きにする事が問題だと鳩山一郎が指摘していたが、これは現在の世界とどこか気脈が通じるのではないか。物質的なものだけではおかしく、より正確に測って数量化したものを政策と結びつけなくてはならず、政策と結びつけるものは何かがはっきりしなくては第三の道アプローチもろくなものにはならない。その方向性をOECDが模索しているが、加盟していない新興国を引っ張っていく発想になるだろう。 (3)G20では世銀とIMFが公式に資料を提供することになり、対立手続きを採用することになったが、そのベースが極めて希薄である。このベースはOECDに唯一存在するものであり、それをG20にどう反映させるかについてOECDは今後作業を進めていくだろう。 (4)OECDは開発途上国に対する支援を貿易や投資について行なってきたが、新たな世界環境の下で新しいドナー国を開発援助委員会のメンバーにする事も進めている。つい最近には韓国がメンバーになり、25カ国体制になった。この先には中国、インド、ブラジル、ロシアをメンバーに加えることが予定されている。新しい援助国は始めのうちは国民を説得するために自国の貿易に役立つような援助を行なうが、これを開発途上国の開発そのもののための援助に転換させるかが第三の道アプローチを開発途上国に広げていくのに重要である。 **************************************** <Ⅱ.質疑応答> Q1. OECDの委員会が首脳に発行する書簡の内容について、政策を実行させるための担保となるものは何か。 A1. 2つの点で担保が図られる。国内の政策で担保となるのは選挙である。民主党は少なくとも形の上ではマニフェストを読んだ上で選ばれたことになる。従って、それを実行することが次の選挙で重要になってくる。2つ目は国内ではマスメディアである。マスメディアを通じて特定の政策決定があったものに関して、それが実行されないことに対する批判は政治の重要な要素になる。OECDで政策の方向が打ち出され、それが執行されているのか、担保がどうなっているのかについては3つの点が考えられる。1つ目は政策の策定過程に当事国が参加することである。政策合意文書などは事務局が一方的に作るわけではなく、その過程で政府と労働者や使用者の委員会、議会も携わっている。これら全てが関わって最終的な成果文書が作られる。自分が関わったものだから自分が執行するという大原則が前提になっている。2つ目はマスコミである。特定の方向に傾いたり、逸脱したりした国が出た場合にはマスコミを活用する。プレスカンファレンスに際して、各プレスの特徴を把握した上で発言を工夫し、報道させるようにしていた。3つ目は対立手続きである。合意したことは必ずレビューし、その場として対立手続きがある。そこで執行していない国は徹底的にたたかれることになる。大概の国は徹底的に批判された後には孤立を避けるために修正することになる。 Q2. GDPではなくより主観的な指標が必要であると述べていたが、これは新興国にとってどう意味を持つのか。 A2. 1997年以降の東南アジア諸国の教訓から新興国も学んでいると思う。1997年のアジア通貨危機以降、東南アジア諸国は成長一辺倒が良くない事を共通認識とし、その経済運営を変えている。元気な開発途上諸国も互いに学び始めており、その延長線上としてOECDの作業が明確に位置づけられるため、多少の時差があった後で中国、インド、ブラジル、ロシアなども同じような事を考えざるを得なくなるだろう。このプロセスは国民一人一人の声が各国の政治体制の中でより重要になっていくプロセスと軌を一にすると考えられる。 高橋 一生  国際基督教大学教授(国際関係学科,行政学研究科)、国連大学客員教授。 国際基督教大学(国際関係学科,行政学研究所)卒、コロンビア大学博士課程修了。その後、経済協力開発機構(OECD)、笹川平和財団、国際開発高等教育機構を経て2001年より国際基督教大学教授。国連大学のほか政策研究大学院大学でも客員教授を務める。また、国際開発研究者協会会長、国際開発世界理事会理事、国際開発センター理事なども務めており、「国際開発の課題」、「激動の政界:紛争と開発」をはじめ、多数の編書・著書がある。

2009-12-01
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【国際機構論】2009年11月24日北谷勝秀NPO 2050理事長

今回の講義は、人口問題から発展した女性問題への危機意識をもとに、「2050」の視点から学生へ問題提起がなされ、非常に考え深い内容となりました。ジェンダーの不平等がある限り、世界平和の実現は不可能であり、そのためには女性の教育の普及や、文化における人間の行動規範の改革の必要がある。また、リプロダクティブライツとリプロダクティブヘルスを追求し、獲得することも女性にとっていかに大切かを講義されました。

2009-11-25
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【国際機構論】2009年11月17日 長谷川祐弘法政大学教授

今回の講義では、国家構築に向けて、国連の援助活動の統合への道のりをCCA(共同国別評価)とUNDAF(国連開発援助枠組み)の主な役割を取り上げて説明されました。いかにして援助を受け入れ国のためになるように、全ての関係機関と組織的に行うことが重要かということ、また現地でのニーズを関与している全ての人、政府、NGO機関と充分に協議して決定していくことの重要性を述べられました。

2009-11-23
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【国際機構論】2009年11月10日 ILO駐日代表長谷川真一様

本日の国際機構論には、ILO駐日代表の長谷川真一様をお招きして行われました。
まず、ILOの歴史や組織、目的について話された後、”ディーセントワーク”(=働きがいのある人間らしい仕事)について講義されました。そして、このディーセントワークの4つの戦略目標や日本における課題、また、日本とILOの関係について述べられました。

2009-11-22
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【国際機構論】10月27日岩崎弥佳世銀代表

今週は世界銀行にお勤めの岩崎様に世界銀行が設立に至った経緯から、どのようにして今日の課題に取り組み、融資や貸金を行っているのかを中心に講義をしていただきました。その講義の中で、協力をしている日本からの職員が極端に少ないこと、日本と世界銀行が共に歩んできた歴史や毎年の世界情勢の課題に沿った開発投資を行っていかなければいけないことの難しさを私たちに訴えかけてくれました。2009年度法政大学法学部 「国際機構論」  テーマ:貧困のない世界を目指して(世界銀行グループ)  講師:岩崎  弥佳  日時:2009年10月27日  場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎 F309教室  作成者:松田 浩太朗 法政大学法学部政治学科2年 **************************************** <Ⅰ.講義内容> 1. 開発課題:コンテクスト 世界中には色々な貧困問題や開発問題がある。先進国は今後25年間で5000万人の人口増加が見込まれているが、途上国は15億人という見込みが出ている。今一番の課題は年齢層若年化が進むとともに、それに対するアプローチをしなければ、教育を受けても雇用の機会がなかったりするなどのアンバランスが生まれてしまう可能性を少しでも摘み取ることである。清潔な水を利用できない人が12億人、基本的な衛生施設を利用できない人が30億人、内戦や政治的動乱に巻き込まれている人が5億人、学校に通えない子供が1億人もいる現在の世界状況である。また、1日1ドル未満の生活を強いられている人が12億人、1日2ドル未満の生活を強いられている人が30億人もいる。 2.世界銀行の設立の経緯 世界銀行は国際復興開発銀行がブレトンウッズで1944年7月に設立をした。第二次大戦後の世界復興を目的として設立された。最初の融資は1947年のフランスに行われた。その後オーストリア、オーストラリア、デンマーク、日本、イタリア、韓国、ギリシアなどが借り入れを行った。 3.組織 IBRD(国際復興開発銀行)とIDA(国際開発協会)の2つの組織を合わせて世界銀行と呼ばれている。IFC(国際金融公社)は民間セクターに直接投資ができる。MIGA(多国籍間投資保証機関)は投資保証機関であり、加盟国に対し個別で紛争解決や締結を行う。ICSID(投資紛争解決センター)はMIGAに似たものではあるが、加盟国以外を個別で紛争解決や締結を行う。それらのすべての5つを合わせて世界銀行グループと呼んでいる。IBRDとIDAは別々のビルディングがあるわけではなく、2つポケットがある感じ。IBRDは貧困度が少ない国を、IDAは貧困度が高い国を対象としている。 (1)IBRDは1945年12月に設立され。第二次大戦後に、ブレトンウッズ協定のもとでIMFとともに設立された。加盟国は185カ国であり、同時にIMFの加盟国でもある。貸付の対象はGNI/Capita(1人あたり国民総所得)が895~5,295以下の加盟国政府に行われ、開発途上国に対する融資や技術援助などに使われる。資金調達は加盟国の出資金や世界市場からの調達で補われている。 (2)IDAは1960年9月に設立され、IBRDの条件での借り入れが困難な貧困途上国に対して、より緩和された条件融資を行うことを目的としている。加盟国は166カ国であり、IBRD加盟国であることが前提とされている。貸付の対象としてGNI/Capitaが895ドル以下の加盟国であり、貧困度の高い開発途上国に対する融資や技術援助等を行っており、資金調達は先進国による拠出で、IBRD純益からの移転もある。 (3)世界銀行に関する10のポイントを簡単に挙げると以下のようになる。 ① 教育に関する最大融資機関 ② HIV/AIDS撲滅を支援する世界最大の融資機関 ③ 保険、医療に関する最大の融資機関 ④ 債務救済を積極的に支援 ⑤ 生物多様性保護に関する最大の融資機関 ⑥ パートナーシップを重視 ⑦ 汚職/腐敗の根絶のため、リーダーシップを発揮 ⑧ CSOとの協力重視 ⑨ 紛争後復興支援 ⑩ 貧しい人々の声を重視 世界銀行の全職員数1万人で、その内の職員振り分けは本部に7000人、フィールドに3000人の人が働いている。世界170カ国の国籍の人が在籍し、職員数の55%が途上国出身である。 4.変化する開発パラダイム 1950年代は戦後復興を目的に開発を進めていた。1960年代は、アフリカの国々が独立をし始めたので、農村開発を進めた。1970年代は人的開発をキーワードとして教育分野などに力を入れていた。1980年代はオイルショックによって途上国がダメージを受けたため、経済改革支援を行った。しかし、当時の政府にとって厳しい経済政策改善を促すコンディショナリティを課した為に当該政府は声の弱い人々(社会的弱者)にとって厳しい政策をとるような事態が発生し、世界銀行のこれまでの評判を下げてしまう結果となってしまった。前回の失敗を生かし、以降、経済政策改善を借り入れ国に進言する際には貧困に困っている人たちに対するソーシャルセーフティーネットの手当てを行いつつ並行して取り組むようにしている。2000年代は自主的に途上国が国家を統治していけるよう政策意識を高めさせようと先進国が主体で進めていった。 現在、新しい開発のアプローチとして包括的開発アプローチを行っている。内容としてマルチセクターで貧困撲滅へフォーカスを置き、借り入れ国側の自主性を重視し、地域開発、CSOとの協力や他の開発援助機関とパートナーシップを組んでやっていこうとアプローチをしている。 5.開発とプロジェクトサイクル(世界銀行のプロジェクト金融の進め方として) ① 国別援助戦略の策定を行う ② (世銀が、3年または国によっては5年に一度、全ての借入国に対して策定する。過去のプロジェクトの実施状況等を見直し、途上国政府と世界銀行が、今後支援が必要な分野、金額等について話し合う。) ③ プロジェクト立案 ④ (実施予定のプロジェクトの概要について、世銀の理事会で承認を求める。) ⑤ 融資交渉・契約 ⑥ (融資の金額、期間、返済計画について契約を交わす。) ⑦ プロジェクト実施 ⑧ (計画されたプロジェクトの実施、モニタリング、評価。通常5~7年程度かけて行う。) 6.世界銀行と日本 日本は世界銀行に1952年8月に加盟をした。そのころの日本は第二次世界大戦からの復興に多額の資金を必要としていた。世界銀行から資金を借り入れ、戦後復興を果たした日本は現在では加盟国185カ国の中で第二の出資国となっている。1950年代には産業の基盤となる電力供給の安定を目的とした融資が行われ、関西電力多奈川火力二基が建てられた。また基幹産業、鉄鋼、自動車、造船などへ向けた融資も行われ、八幡製鉄所やトヨタ自動車挙母工場が建てられた。1960年代には黒部ダム、東海道新幹線の開通、東京-静岡間高速道路の整備が行われた。借入国から資金供与国となった日本が受けた融資は13年間で31件8億6290万ドルであった。1966年で世界銀行を卒業し、1990年7月には最後の借り入れを完済した。 **************************************** <Ⅱ.質疑応答>…

2009-10-27
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【国際機構論】2009年10月20日WFP国連世界食糧計画 日本事務所 

今回の講義では、世界の飢餓の現状とその問題に対するWFPの活動概要についてご講義をされました。講義の中では、WFPの食糧支援の多様性や、気候変動が及ぼす飢餓に対してWFPが実施している取り組みについて、具体的なプロジェクトを例に挙げて説明をされました。また、NGOとのパートナーシップや、今後のミレニアム開発目標達成に向けた「WFP 4ヵ年計画」についても、現状の課題を含めご講義いただきました。

2009-10-20
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【国際機構論】2009年10月6日(火)村田俊一様(UNDP駐日代表)

本日の「国際機構論」はUNDP駐日代表を迎え、「国際開発プログラミングの最新動向とUNDPの役割」をテーマとしてお話しいただきました。まず始めにUNDPの理念と活動指針に関する基本的な知識とMDGs(ミレニアム開発目標)について詳しく説明されたあと、村田様がブータンで活動されていた当時の映像を見せていただきました。さらに、開発に求められる人材についてのお話を伺いました。講義全体を通して、ユーモアを交えつつ、大変興味深い講義でした。(sakai kanako)2009年度法政大学法学部
           

2009-10-13
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【国際機構論】2009年7月14日(水)長谷川 祐弘 法政大学教授

今回の講義では、ASEAN(東南アジア諸国連合)の進展と課題について述べられました。特にASEANが経済統合を成し遂げるためには、どのようなことが起こらなければならないかということに焦点を当て、EUと比較しながらこれまでのASEAN加盟国の動向について詳しく説明なされました。また、今後ASEANが経済統合を成し遂げるにあたって、日本などの他国の経済連携協力の必要性や日中のASEANに対するアプローチの比較もなされました。

2009-07-29
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【国際機構論】2009年7月7日(水)長谷川 祐弘 法政大学教授

今週は長谷川祐弘教授による欧州連合の誕生と構造、外交政策に関して講義がなされました。「欧州連合はオリジナルな超国家主体なのか、それとも従来の国際的組織なのか」という問題意識をベースに、欧州連合の存在の理論づけと実際的な活動について講義が行われました。
欧州連合は現在最も進化した超国家的な役割を担ったフレームであり、今後もその研究は行われていくであろうと思います。その中で非常に現実的で興味深い講義であったと思います。特に欧州連合の誕生・構成をconstructivismの視点から検証したのはとても論理的で説得力のあるお話であると感じました。

2009-07-07
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【国際機構論】2009年7月1日(水)黒澤啓様 JICA公共政策部次長兼ジェンダー・平和構築グループ長

本日の講義は、JICA公共政策部より黒澤啓様をお招きして行い、黒澤様には、『日本のODAにおけるJICAの役割・JICAと国際機関の連携』というテーマで、講義をしていただきました。前者のODAに関しては、JICAと外務省の役割の棲み分けを中心に、後者の国際機関との連携に関しては、UNHCRやUNDPとの連携体制を中心に講義をしていただきました。

2009-07-04
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【国際機構論】2009年6月23日(火) 長谷川祐弘法政大学教授

2009年度法政大学法学部 「国際機構論」 ■テーマ : 国際連合と加盟国の変遷 ■講 師 : 長谷川 祐弘  法政大学教授 ■日 時 : 2009年6月23日(水) 13:30~15:00 ■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎 309教室 ■作成者 : 溝口 習 法政大学法学部国際政治学科3年 **************************************** <Ⅰ.講義概要> 1.国際連盟はなぜ崩壊したのか (1)一番の大きな理由はアメリカの不参加にある。アメリカでは、大統領が国際条約に署名しても、国内の上院で承認されなければ条約の効力が発揮されない。この問題についての最近の例としては、副大統領アル・ゴア氏が調印した京都議定書がある。京都議定書も上院で承認されなかったために、アメリカは不参加となっている。 (2)二番目の理由として、日本とドイツなど、数多くの国が連盟を脱退したことがあげられる。連盟がリットン調査団を満州に派遣し、日本の満州における行動を侵略行為であると報告したことで、日本は脱退した。同様に、ドイツもポーランド、オランダ、ベルギー等に侵攻し、連盟から非難を受けたことで脱退した。同様に、イタリアも1937年に脱退した。ソビエト連邦は日本、ドイツが脱退した後の1934年に加盟したが、フィンランドに侵攻し、連盟から除名処分となった。この結果、主要国で連盟に残ったのは、イギリスとフランスだけになり、脆弱な国際機関となってしまった。 2.国際連合への加盟 (1)1945年、創設当時の加盟国は51カ国であった。加盟の条件として、第一に国連の通常予算を賄うための分担金の支払がある。日本は3年前に19.5%負担し、現在16.6%まで削減されたが、いまだ非常に大きな貢献をしている。第二に、安全保障理事会の勧告と総会の承認がある。ある国家を支配している政府を決定する際には、代表権問題など様々な問題が生じる。 (2)1946年にアフガニスタン、アイルランド、スウェーデン、タイ、パキスタン、イエメン、ミャンマー、イスラエル、1950年にはインドネシアなどアジアの新独立国が加盟した。 (3)1950~55年の間に朝鮮戦争が発生し、イスラエルとアラブ諸国の対立が表面化した。ヨーロッパ諸国の東西対立は定着し、スペイン、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランド、が加盟し、アジアではカンボジア、ラオス、スリランカ、ネパールが加盟した。 (4)日本は1951年まで5年間のアメリカによる占領の後、独立を回復し国連への加盟に向けて活動した。1951年にはアメリカと講和条約を結び、「日本は国際連合への加盟を申請し、国連憲章の原則を順守する」ことを誓い、当時10カ国あった安全保障理事会常任理事国のうち、9カ国から加盟の承認を得た。しかし、ソ連からの反対を受け、加盟が認められなかった。その5年後、日ソ共同宣言を結び、1956年12月18日にソ連の承認を受けて、国連の80カ国目の加盟国となった。 (5)日本の加盟後から、1971年までの間にアフリカ・アジア諸国の独立が進むと同時に国連への加盟も進み、1973年には、東西ドイツが別々に加盟した。 (6)1990年代に入ると太平洋やカリブの諸島にある、非常に小さな国々も加盟し、加盟国数は150を超えた。1989年には東西冷戦を象徴する「ベルリンの壁」が崩壊して冷戦が終結し、1991年には韓国、北朝鮮が加盟した。その後に続いて18のCIS諸国が加盟し、加盟国総数は184カ国まで増えた。 (7)1994年から2002年までの期間には8カ国が加盟した。その中でも国連にとって最も重要な意味をもつものは、ウェストファリア体制の時代から約400年間どこの同盟にも属さなかった、「永世中立国スイス」の加盟である。 (8)現在、国連の加盟国総数は192カ国である。 3.中国の代表権問題 (1)1949年11月15日、周恩来首相が当時の国連事務総長のTrygve Lie氏に対して、中国共産党が中国を支配すると宣言した。また、国連総会議長であったCarlos Romulo氏に対して、書簡で、中国共産党が設立した政府が中国を代表すると述べ、当時国連で中国を代表していた蒋介石政権は亡命政権であり、中国を代表する権利を持たないと主張した。 (2)しかし、1949年にはすでに冷戦が始まっており、西洋の自由民主主義国家グループ、特にアメリカは、西洋の民主主義に挑戦し、侵略する意図を抱いていると中国共産党政権を国際連合に入ることを認めず、当時同盟を組んでいた国民党政権を支援していくべきであると考え、「国府代表を総会から排除し、中国共産党政府代表を総会に出席させるいかなる提案の審議も延期する」という内容の「棚上げ案」を1950年から約10年間にわたり採択した。 (3)1960年以降はアジア・アフリカの旧植民地諸国が続々と加盟し、アメリカの案に反対する国が増えてきた。また、中国共産党の重要性を主張する国が現れ、アメリカのコントロールが利かない時代になってきた。このような事態に対処して、米国は、中国共産党を抑え込む「棚上げ案」の代替案として、「重要事項化」を採用した。問題を「重要事項」にすることで、過半数の賛成を得るだけで中国共産党政権を抑えられるようになった。 (4)しかし、1970年には、北京政府を加盟させ、台北政府を追放するという「アルバニア案」が台頭し、過半数を獲得した。アメリカは、米台相互防衛条約の堅持、国連における台北の議席の支持を表明した。 (5)1971年10月25日、「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」を指す「アルバニア決議案」が賛成76、反対35、棄権17、欠席3で採択され、北京政府の中国代表兼が認められた。そして台湾政府は国連のいかなる機関にも所属することができなくなった。 (6)近年、新型インフルエンザの流行に伴い、WHOが台湾をオブザーバーとして受け入れるなど、中国が台湾を容認する方向に転換してきている。 4.国際連合が存続している理由 (1)国際社会の形態とニーズが変化し、新しい基準と規範が現れ、通商・貿易の拡大、技術革新などのグローバル化の加速により進み、国際社会が秩序ある運営がより重要になってきている。この状況下において、国際連合が国際社会の唯一のガバナンス機関として成長してきているのである。

2009-06-23
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【国際機構論】2009年6月9日(水)長谷川 祐弘 法政大学教授

本日の講義では、安全保障理事会と平和維持活動について国連憲章に基づいて説明がなされた。まず最初に国連憲章の内容についてと、それに基づいて実際に行われたオペレーションについてお話していただいた。現在問題となっている北朝鮮のミサイル発射実験について、安保理において決議をとるのに時間がかかっているが、各国の主張は国連憲章の内容に基づいたものとなっている。次に国際平和維持活動の概念についてお話していただき、これまでの平和維持活動の失敗例とそれに伴って変化していった平和維持活動についての説明がなされた。国際紛争が国家間紛争から国内紛争へと変化していった冷戦後の時代におけるPKOの失敗を、実例に基づいて話された。

2009-06-09
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【国際機構論】2009年6月2日(火) 久山 純弘様 国連大学客員教授

6月2日の国際機構論では、国連大学客員教授を務められている久山純弘様がゲストスピーカーとしてお越しになり、ご自身の国連での仕事について話されてから、国連活動に対するoversightや国連活動の効率化についてご説明になりました。国連活動の効率化に関するお話の中で、アカウンタビリティの強化だけでなく、一般市民社会や企業、自治体などの非国家主体の参加が求められることを指摘されました。

2009-06-05
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【国際機構論】2009年5月26日 UNV 長瀬慎治様

5月26日(火)の国際機構論では国連ボランティア計画(UNV)東京駐在事務所・駐在調査官 長瀬慎治様より講義をしていただきました。

講義の前半では国連ボランティア計画(UNV)の概要からボランティアの動員に係る紹介、日本との関係について説明されました。
後半には長瀬様ご自身、UNVでの初めての派遣先であった東ティモールでの住民登録、憲法制定議会選挙支援の経験談を述べられました。
講義終了後、学生からの質問にもお答えになりました。

2009-05-27
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【国際機構論】2009年5月19日(火) 伊勢 桃代様 日本国連協会理事

国際連合(国連)は、国家を超えた世界的視野に立つ仕事をする機関であり、ここに働く人たちは国際公務員として扱われる。 国家間や都市間の連携を構築した例は歴史上古く、古代エジプトやバビロン、古代ギリシャの都市にも見られるが、超国家的国際公務員の実現は、1919年の国際連盟に始まったと言える。

2009-05-19
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【国際機構論】2009年5月12日(火) 紀谷 昌彦様 外務省総合外交政策局 国連企画調整課長

なぜ日本にとって国連は重要なのか。国際的にも日本の中でもグローバルイシューの解決に向けての機運が高まっている。気候変動、テロ、感染症紛争などは一国のみにとどまらない問題が多い。日本は先進国として、日本と世界の平和と繁栄を実現するために、これにリーダーシップを持って取り組まなければならない。力を持ったアメリカと国連システムがどう関わるかが今後注目される。

2009-05-12
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