【国際機構論】2009年5月26日 UNV 長瀬慎治様

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2009年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : 「国連ボランティア計画(UNV)の活動 東ティモールでの経験を中心に」
■講 師 : 長瀬 慎治 氏 国連ボランティア計画東京駐在事務所・駐在調査官
■日 時 : 2009年5月26日(火) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見坂校舎 305教室
■作成者 : 中村 哲 法政大学法学部国際政治学科3年

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<Ⅰ.講義概要>

はじめに.冒頭の挨拶より
 「私は現在、青山にある国連大学ビルの中にある国連ボランティア計画(UNV)の東京事務所で、2007年から働いています。特にUNVと日本の外務省やJICA、NGO、NPOとのパートナーシップの維持発展の為の連絡調整を主に行っております。その中には日本からの資金調達、日本国内でのUNVの広報、そして日本人国連ボランティアの送り出し業務が含まれています。本日の講義は、担当教諭の長谷川祐弘教授がカイロのPKOセンターへのご出張ということで、私が代役を務めさせていただくことになりましたが、長谷川教授は1990年代の初めにUNVの事務局次長をされていたこと、私自身が国連ボランティアとして東ティモールの選挙支援に参加していたこともあり、何かと長谷川教授と縁のあるUNVが今回、このような機会を頂いたことを大変うれしく思っております。長谷川教授をはじめ、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。」

1.国連ボランティア計画(UNV)概要
 国連ボランティア計画は、1970年の国連総会で創設され、国連開発計画(UNDP)の下部組織として1971年から活動を始めた。当時は国際ボランティアを国連諸機関に派遣するというボランティア派遣機関として活動を始めたが、現在は国連システムにおけるボランティアリズム推進の中心機関という位置づけで、世界の平和と開発のための市民参画の形態としてボランティアリズムを提唱し、これを通して世界の平和と開発に貢献する活動をしている。本部はドイツ・ボンの国連ビルの中にある。

2.UNVのビジネスモデル
 (1)現在の活動は、3つの大きな柱を中心として展開されている。1つ目はボランティアリズムのアドボカシーと呼ばれる、世界中でボランティアの重要性をより良く認知してもらうための活動である。これには、キャンペーン活動や各国のボランティアに関する法律、政策を促進するための情報提供や技術支援、ボランティアのより世界的で客観的なデータを収集するための調査、研究等が含まれている。
 (2)2つ目は各国の開発計画とボランティアリズムを融合させるための活動であり、ボランティアリズムの重要性を認知してもらった後、各国の開発の為にボランティアが担う役割の実際の活動の中に盛り込んでいく活動である。具体的には、各国政府の開発計画やその国の国連機関の支援計画をまとめた国連開発支援枠組にボランティアや市民参加に関する項目を明記させるという活動である。
 (3)最後に設立以来、続けているボランティアの動員という活動を行っている。

3.ボランティアの動員について
 (1)2007年にUNVは、世界168ヶ国出身の7500人の国連ボランティアを144ヶ国に派遣している。そのうち80%が開発途上国出身であり、その中の30%が自国で国連ボランティアとして活動している。これはナショナルUNVというプログラムである。これはJICAの青年海外協力隊やアメリカの平和部隊といった2国間で行われている国際ボランティアのプログラムにはないユニークなプログラムであり、現地の開発の持続可能性を維持する効果的な方法として評価されている。
 (2)国連ボランティアの平均年齢は37歳である。つまり職務経験が5年から10年あるその分野の専門家がボランティアとして活動している集団がUNVといえる。年齢の上限はないが、職務経験を重視し、現場の即戦力を派遣するという方針から、最低でも応募の時点で25歳になっていることを原則としている。
 (3)現在、100以上の専門分野の専門家がUNV本部で管理するロースターに登録し、現地からの要請を待っている。このロースターには毎年、7万人が応募し、そのうち選考基準を満たした7000人がロースター登録されている。
 (4)活動分野は大きく言うと、ミレニアム開発目標の達成に関連する貧困削減や教育、HIV/AIDS、保健、環境、防災の分野、復興人道支援、平和構築、平和維持活動等である。
ボランティアの動員の分野で特に特出すべき事として、これは他のボランティア派遣組織では出来ないことであるが、国連PKOへの派遣を行っている点である。これまでの実績として、1992年から2007年までの間に43の国連PKOミッション、もしくは政治ミッションに国連PKOの文民スタッフの約半数に当たる約9000人のボランティアを派遣している。
 (5)国連ボランティアに参加するためには、まずロースターへの登録が必要になる。そして各国の国連機関からあがってくる要請をUNV本部が随時、取りまとめ適任者をロースターから選考していく。数名の候補者をロースターから選考し、それを要請機関に打診し、要請機関がさらに候補者を絞り込み、最終的に現地担当者との電話面接によって最終決定がなされる。
 (6)国連ボランティアに選考された場合、往復の渡航費、渡航準備金と支給される生活費の3ヶ月分にあたる現地支度金、各国で充分に暮らしていけるために国連が算出した毎月の生活費、健康保険、生命保険、国連の安全基準下での国連職員同等の安全確保、帰国手当てが待遇として用意されている。

4.UNVの新しい活動
 (1)ボランティアリズムのアドボカシーと開発活動への融合というUNVの新しい活動は、2001年のボランティア国際年を契機に、UNVは国連ボランティアの派遣だけではなく、全てのボランティアを開発と平和の促進の為、国連総会から与えられた任務である。ボランティア国際年は初めて国際社会において、開発や平和のためのボランティアリズムの重要性が認知されたという意味で画期的な出来事であった。開発の当事者である途上国政府が開発のためのボランティアは先進国からの国際ボランティアによる支援であるという認識から、自国の市民を自国の開発のためのボランティアとして活用していくべきであるという認識への転換を促したという点でも重要な転換点となった。UNVは2001年以降もこれらの認識の転換をフォローしていく任務を与えられ、これまで実績を挙げている。2011年にはこれまでのボランティアリズム促進の進捗状況を確認し、更なるボランティアリズムの認知向上を目指したボランティア国際年10周年記念の行事が計画されている。

5.日本との関係
 (1)UNV東京事務所はこれまで約800人の日本人国連ボランティアを派遣している。また2001年ボランティア国際年の最初の提唱者でもある中田武仁UNV終身名誉大使はカンボジアのPKOに選挙監視UNVとして参加して現場で殉職されたご子息の遺志を体現すべく、職を辞してUNVの名誉大使として1992年以降活動を続けてきた。
(2)UNVでは日本政府からの拠出金を信託基金という形で管理し、邦人ボランティアの派遣の経費や執行するプロジェクトへの拠出を行っている。
 (3)アフリカ開発会議(TICADⅣ)にもUNVは代表団を派遣し、日本政府のアフリカ支援をまとめた横浜行動計画の一部としてUNVが日本政府の拠出で行っている「アジア・アフリカ青年協力隊事業」の活動が紹介された。

6.東ティモールでの国連ボランティア経験より
 (1)400年間、ポルトガルの植民地であった東ティモールは、人口80万人の島国であり、第二次大戦中には日本軍の占領を受けていた。ポルトガル占領下では愚民政策が取られており、住民は教育を施されることはなかった。
(2)1975年には独立宣言をするが、宣言の1週間後、インドネシア軍の侵攻を受け併合された。インドネシアからの独立を問う1999年8月30日の国連支援による住民投票では、暴動という死と隣り合わせの状況の中、投票率は98.6%を記録し、70%以上の人々が独立を支持した。住民投票を支援した現地国連スタッフが殺害されるなど、暴動の標的となった。この独立はまさに命をかけて勝ち取った独立といえるが、住民投票後も東ティモールの70%以上の住居や施設が破壊されるなど、状況は悪化していった。
(3)この状況の中、国連は国外に撤退するしかなかった。国連安全保障理事会は9月に多国籍軍の派遣を決定し、事態は結果的に沈静化したが、その時点で東ティモールは焦土と化してしまっていた。10月には国連安全保障理事会は2年後の独立のために国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を採択し、立法、行政、司法の統治、安全の提供及び、法と秩序の維持、効果的な行政の確立、民生及び社会サービスの開発支援、人道支援、復興支援に当たった。
(4)2000年からの2年間は国連が政府の役割を果たした。当時の東ティモールは自国の政府が存在しなかった点から国家ではなかったため、国際政治を学んでいた私にとって、国家がない土地に実際に降り立つという行為自体に対して大きなモチベーションを感じており、東ティモールに国連ボランティアとして参加したいと思ったきっかけになった。
 (5)UNTAETは東ティモール全土で活動するため、1000人の国際国連職員では数が足りず、それを補足するため、最大で980人の国連ボランティアが派遣されていたが、国連ボランティアの任務は補足とはいえないような重要な責務を伴うものであった。国連ボランティアは各県下の全市で市長の役割を担っていた。また各県の政務、人権、教育、農業を担当する要因も担った。これらの任務を遂行するためには後方支援要員の必要もあったが、これも国連ボランティアが配置された。私は投票のための住民登録要員(District Civil Registration Officer)として東ティモール国民80万人のうち1万8千人の住民登録業務にあたった。最初の契約は6ヶ月であったが、この機会を大切にし、与えられた仕事で実績を挙げ、次の任務を現場で獲得し、長く現場で経験を積み、東ティモールの独立を現地で向かえることを目標にした。
 (6)住民登録は東ティモールが国家として独立するために必要なプロセスの一つであった。まずは誰が国民であるかを確定しなければならなかったが、東ティモールには独自の戸籍が存在せず、独立を前に国連が支援する形で住民登録作業をすることになった。住民登録で収集された個人情報を基にして、8月30日に予定されていた憲法制定議会選挙の有権し者名簿が作成されることになっていた。憲法制定議会で住民の代表者が憲法の草案を承認し、その憲法に従って、国の政治体制が決定される。東ティモールでは憲法によって、大統領制となった。これに従い、大統領選挙が行われ、東ティモールでは大統領の下、独立するというシナリオだった。
 (7)200人の住民登録チームはまずはオーストラリアのダーウィン大学に集合し、1週間のブリーフィングを受け東ティモール、国連PKO、住民登録に関する情報を叩き込まれた。私はこれが初めてのミッションであったが、大半の国連ボランティアが既に他の国連PKO活動にUNVとして参加した経験を持つ者であった。
 (8)東ティモールの首都ディリに到着するとUNTAET本部でIDカードと国連の乗用車を受け取り、その日のうちに配属先のエルメラ県に移動した。エルメラ県に配属された住民登録のメンバーは様々な国から様々なバックグランドを持った人達であり、各地区に2名ずつ配属された。私は東ティモール最高峰のラメラウ山にあるレテフォホ村にシエラレオネの元知事とともに赴任した。実際の任務ではパートナーとの役割分担も機能し、住民登録の数で突出した実績を挙げた。レテフォホでは英語の話せる地元スタッフを4人、運転手1人を雇った。日常生活は非常に不便なものであったが、レテフォホの景色は素晴らしく、特に夜空の星座にはとても癒された。
 (9)村の人々はこれまでインドネシアの監視にあったため、外国人の私達に対して表向きには友好的であったが、おそらく裏では警戒をしていたのではないかと思う。生活に慣れ始めると作業を開始した。まず村の有力者に住民登録の旨を伝え、協力を求めた。
(10)次に住民登録の拠点となるような場所を見つけた。住民登録はドイツ政府の支援によって運営されており、住民登録に必要な機材が与えられることとなっていたが、これが届いたのが住民登録開始の3日前であった。国連においてもこのようなことが起こることに最初は驚きを覚えた。機械的なトラブルもあり、準備は夜を徹したものとなった。しかしどうしても住民登録開始日までにすべての事務所を開設することは不可能となり、半分の事務所を公式開始日に開所する苦渋の決断を採った。私の事務所はその立ち上げの事務所として選ばれた。ここから3ヶ月にわたる住民登録作業が始まった。住民登録作業の戦略として村の有力者を初めに登録したのは、これによって村人の住民登録に対する意識の向上を期待したものだった。3ヶ月、朝から晩まで作業を行い、18000人の住民登録を完了した。
 (11)実際の住民登録の方法として、住民はインドネシア時代からの登録証や教会の洗礼証明書を持参し、その情報を参考にして氏名、生年月日、出生地、扶養者の名前、住所等をパソコンに打ち込んでいった。その後、ウェブカメラで顔写真を撮影し、登録証明書と登録カードを発行する。最後に本人のサインもしくは拇印と私のサインで登録完了となる。1日の終わりに登録したデータをCDに保存し1日の仕事が完了となる。
 (12)エルメラ県は首都のディリに次いで人口の多い県であったが、メンバーのチームワークとやる気で効率的に作業は進み、私は良い作業を行うことが出来た。この結果が本部の耳にも留まり、作業が難航していた首都での住民登録支援にもかり出されることとなった。
 (13)当初からトラブル続きであった住民登録も3ヶ月でなんとか完了し、200人のUNV住民登録要員は自動的に、憲法制定議会選挙の支援要員としてUNVの契約を延長することになった。選挙支援は民主主義に法った東ティモールの独立を確保するための重要な作業であるというプレッシャー、独立という悲願の為の1票を持って投票を待つ群衆の期待を体一杯に受け止めるという中での活動であった。
 (14)私達は次に住民に民主的な選挙とは何か、そしてそのため、どのような手続きをするのかを理解してもらうべく有権者教育にあたった。東ティモールの約8割の国民が字を読むことが出来ないため、有権者教育は口頭での説明とアニメーションを使ったビデオを利用し、投票用紙は
候補の写真を政党のロゴにくぎで穴を開けるという方法がとたれた。これらのことを人々に理解して、実践してもらうことが課題であった。
 (15)最後に私は投票所の選定と間取りの計画、現地スタッフ20人のリクルートを担当した。私が担当した投票所は有権者数2800人、投票ブース5つの県最大の投票所で、壊れかけた小学校を利用した。現地スタッフの当日の役割を教育しながら、投票所の整備を全員で行った。投票日前日は投票用紙、有権者名簿、二重投票防止のための蛍光塗料等の選挙用具一式が文民警察の事務所で厳重に完備され、午前7時の投票所会場の為に、午前3時に自宅を出発した。投票所までの山中では投票前にもかかわらず、投票所に向かう住民の列が出来ており、会場の7時にはほとんど全ての有権者が投票を待っている状況であった。投票終了後、翌日から国連ボランティアによって開票作業が1週間かけて行われた。投票率は90%、公平かつ民主的な選挙であったことが確認され、選挙は無事終了した。
 (16)選挙終了後、帰国3日前に最初に行った住民登録の部署から突然のオファーがやってきた。私は13ある県に1つずつ配置されることになった住民登録監督要員に選ばれ、引き続き住民登録、そして出生証明書、婚姻証明書、死亡証明書の発行作業をしながら現地スタッフのトレーニングを行うというポジションに就いた。これまで現地での8ヶ月の実績が認められて得たポジションであったので、大きな自信にもなったうえ、独立を現場で迎えるという目標に近づいたことは非常に嬉しいものであった。地道に仕事をしていれば誰かが認めてくれるということを実感した瞬間であった。
 (17)早速、次の赴任地、西ティモールと国境を接するコバリマ県に出向いた。ここでの業務は、独立を控えて現地の職員が引き続き住民投票登録業務を続けていけるだけの技術と能力をトレーニングするというものであった。1番の難関は住民登録の際に使用するコンピューターを使いこなし、彼らだけでの作業を可能にすることであった。毎日、OJTを行い、最終的には私がいなくても自分達で登録作業が行えるようになった。もう1つの大きな任務として大統領選挙のために西ティモールから帰還してくる帰還民を国境で待ちうけ、住民登録をし、大統領選挙に投票できるようにするというものであった。この作業はUNHCRの帰還民登録の作業と同時に行った。
 (18)東ティモールの独立の日2002年5月20日、首都ディリでコフィ・アナン国連事務総長、クリントン元アメリカ大統領を含む多くの国家元首、そしてシャナナ・グスマン東ティモール初代大統領が出席して記念式典が開催された。私を含む13人の住民登録監督員は自宅でテレビを通して式典の模様を見ていた。私は歴史的な国家独立の日に、その場に居合わせることが出来たという事実で充分満足していた。

7.最後に
 「僕の仕事の原点となりました、東ティモールでのボランティア活動を久しぶりに振り返ることが出来て、個人的にも良かったと思います。この講義をきっかけに、将来、国連ボランティアが皆さんの中から誕生することを願っております。最後になりますが、このような機会を頂いた長谷川教授、法政大学の皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。」

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<Ⅱ.質疑応答>

1.住民登録時の特別なケースについて
Q.住民登録の際の証明書不携帯の者に対してはどのように扱うのか教えてください。
A.ほとんどの方がインドネシア時代に作った住民登録証を持っているのだが、何も持っていない方に関しては、2人身元の確認が出来る証明者を必要とし、証明者の保証を基に作業を行った。

2.UNVのボランティアとしての利点、意義
Q.UNVがボランティアという枠組みで活動していく利点、最大の意義を教えてください。
A.常に我々もそれを問い続けながら活動しているが、国連側からみた 利点としてはコストパフォーマンスという部分がある。UNVの比較優位性としてコミュニティーレベルの支援を様々な形で行うことが可能であり、それによって現地の人を巻き込んだ持続可能なものにしていくための、実際の活動を行うことが出来ることが挙げられる。現地の人をコミュニティーレベルで巻き込んだ持続可能な活動の一つの形態としてボランティアが考えられ、その部分を支援しているのがUNVである。活動内容とはベルにそれをボランティアで行っているという部分が地元住民の共感につながっており、彼らのボランティアリズムを喚起させている。UNVに応募し、参加している人々の動機は人それぞれであり、彼らのボランティアリズムに対する考え方も人それぞれだと思うが、
UNVは、ボランティアという枠組みで国連の活動の中に市民参加の機会を提供しており、それに応募する人々が毎年7万人いるという事実はUNVの存在意義を十分にサポートしていると考えている。

3.文民と官の関係
Q.ボランティアの方々の活動に対して国連職員の方々からの情報提供やオファーについて教えてください。
A.東ティモールは国連の中でも非常に大きなオペレーションなので多数の国連スタッフが入っており、UNV自体も国連PKOミッションに統合されていたため、国連の文民職員と国連ボランティアの職務上の区別はほとんどなかった。 そのため情報提供は非常に密に行われていた。エルメラ県では平和維持隊、文民警察、そして文民スタッフが一同に会して週1回の情報共有の会合が行われ、セキュリティーに関する情報も交換されていた。

4.NGOとの関係
Q.UNVとNGOのパートナーシップはどのようなものであったか教えてください。
A.UNVはボランティアを派遣する機関であるので、組織としてのUNVとNGOとの関係は特にないが、各国連機関とNGOとのパートナーシップで行われる活動は多くあり、特にコミュニティーレベルでの活動では、各国連機関に派遣されている国連ボランティアがそれを通常は担っていた。

長瀬慎治 国連ボランティア計画(UNV)東京駐在事務所 駐在調整官

愛知県出身。米国オハイオ大学大学院で政治学修士号を取得後、愛知県の私立大学の事務職員として留学生の受け入れ・送り出し、生活支援業務に携わる。2001年1月より国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)の国連ボランティアとして住民登録、憲法制定議会支援に参加。2002年10月より国連開発計画(UNDP)サモア事務所のUNVプログラムオフィサーとしてサモア、クック諸島、ニウエ、トケラウ諸島のUNVのプログラム立案・管理・運営。2005年7月より「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン事務局にて事務局長補佐、事務局長代理。2007年より現職。