【国際機構論】10月27日岩崎弥佳世銀代表

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今週は世界銀行にお勤めの岩崎様に世界銀行が設立に至った経緯から、どのようにして今日の課題に取り組み、融資や貸金を行っているのかを中心に講義をしていただきました。その講義の中で、協力をしている日本からの職員が極端に少ないこと、日本と世界銀行が共に歩んできた歴史や毎年の世界情勢の課題に沿った開発投資を行っていかなければいけないことの難しさを私たちに訴えかけてくれました。

2009年度法政大学法学部
「国際機構論」
 テーマ:貧困のない世界を目指して(世界銀行グループ)
 講師:岩崎  弥佳
 日時:2009年10月27日
 場所:法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見校舎 F309教室
 作成者:松田 浩太朗 法政大学法学部政治学科2年

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<Ⅰ.講義内容>
1. 開発課題:コンテクスト
世界中には色々な貧困問題や開発問題がある。先進国は今後25年間で5000万人の人口増加が見込まれているが、途上国は15億人という見込みが出ている。今一番の課題は年齢層若年化が進むとともに、それに対するアプローチをしなければ、教育を受けても雇用の機会がなかったりするなどのアンバランスが生まれてしまう可能性を少しでも摘み取ることである。清潔な水を利用できない人が12億人、基本的な衛生施設を利用できない人が30億人、内戦や政治的動乱に巻き込まれている人が5億人、学校に通えない子供が1億人もいる現在の世界状況である。また、1日1ドル未満の生活を強いられている人が12億人、1日2ドル未満の生活を強いられている人が30億人もいる。
2.世界銀行の設立の経緯
世界銀行は国際復興開発銀行がブレトンウッズで1944年7月に設立をした。第二次大戦後の世界復興を目的として設立された。最初の融資は1947年のフランスに行われた。その後オーストリア、オーストラリア、デンマーク、日本、イタリア、韓国、ギリシアなどが借り入れを行った。
3.組織
IBRD(国際復興開発銀行)とIDA(国際開発協会)の2つの組織を合わせて世界銀行と呼ばれている。IFC(国際金融公社)は民間セクターに直接投資ができる。MIGA(多国籍間投資保証機関)は投資保証機関であり、加盟国に対し個別で紛争解決や締結を行う。ICSID(投資紛争解決センター)はMIGAに似たものではあるが、加盟国以外を個別で紛争解決や締結を行う。それらのすべての5つを合わせて世界銀行グループと呼んでいる。IBRDとIDAは別々のビルディングがあるわけではなく、2つポケットがある感じ。IBRDは貧困度が少ない国を、IDAは貧困度が高い国を対象としている。
(1)IBRDは1945年12月に設立され。第二次大戦後に、ブレトンウッズ協定のもとでIMFとともに設立された。加盟国は185カ国であり、同時にIMFの加盟国でもある。貸付の対象はGNI/Capita(1人あたり国民総所得)が895~5,295以下の加盟国政府に行われ、開発途上国に対する融資や技術援助などに使われる。資金調達は加盟国の出資金や世界市場からの調達で補われている。
(2)IDAは1960年9月に設立され、IBRDの条件での借り入れが困難な貧困途上国に対して、より緩和された条件融資を行うことを目的としている。加盟国は166カ国であり、IBRD加盟国であることが前提とされている。貸付の対象としてGNI/Capitaが895ドル以下の加盟国であり、貧困度の高い開発途上国に対する融資や技術援助等を行っており、資金調達は先進国による拠出で、IBRD純益からの移転もある。
(3)世界銀行に関する10のポイントを簡単に挙げると以下のようになる。
① 教育に関する最大融資機関
② HIV/AIDS撲滅を支援する世界最大の融資機関
③ 保険、医療に関する最大の融資機関
④ 債務救済を積極的に支援
⑤ 生物多様性保護に関する最大の融資機関
⑥ パートナーシップを重視
⑦ 汚職/腐敗の根絶のため、リーダーシップを発揮
⑧ CSOとの協力重視
⑨ 紛争後復興支援
⑩ 貧しい人々の声を重視
世界銀行の全職員数1万人で、その内の職員振り分けは本部に7000人、フィールドに3000人の人が働いている。世界170カ国の国籍の人が在籍し、職員数の55%が途上国出身である。
4.変化する開発パラダイム
1950年代は戦後復興を目的に開発を進めていた。1960年代は、アフリカの国々が独立をし始めたので、農村開発を進めた。1970年代は人的開発をキーワードとして教育分野などに力を入れていた。1980年代はオイルショックによって途上国がダメージを受けたため、経済改革支援を行った。しかし、当時の政府にとって厳しい経済政策改善を促すコンディショナリティを課した為に当該政府は声の弱い人々(社会的弱者)にとって厳しい政策をとるような事態が発生し、世界銀行のこれまでの評判を下げてしまう結果となってしまった。前回の失敗を生かし、以降、経済政策改善を借り入れ国に進言する際には貧困に困っている人たちに対するソーシャルセーフティーネットの手当てを行いつつ並行して取り組むようにしている。2000年代は自主的に途上国が国家を統治していけるよう政策意識を高めさせようと先進国が主体で進めていった。
現在、新しい開発のアプローチとして包括的開発アプローチを行っている。内容としてマルチセクターで貧困撲滅へフォーカスを置き、借り入れ国側の自主性を重視し、地域開発、CSOとの協力や他の開発援助機関とパートナーシップを組んでやっていこうとアプローチをしている。
5.開発とプロジェクトサイクル(世界銀行のプロジェクト金融の進め方として)
① 国別援助戦略の策定を行う
② (世銀が、3年または国によっては5年に一度、全ての借入国に対して策定する。過去のプロジェクトの実施状況等を見直し、途上国政府と世界銀行が、今後支援が必要な分野、金額等について話し合う。)
③ プロジェクト立案
④ (実施予定のプロジェクトの概要について、世銀の理事会で承認を求める。)
⑤ 融資交渉・契約
⑥ (融資の金額、期間、返済計画について契約を交わす。)
⑦ プロジェクト実施
⑧ (計画されたプロジェクトの実施、モニタリング、評価。通常5~7年程度かけて行う。)
6.世界銀行と日本
日本は世界銀行に1952年8月に加盟をした。そのころの日本は第二次世界大戦からの復興に多額の資金を必要としていた。世界銀行から資金を借り入れ、戦後復興を果たした日本は現在では加盟国185カ国の中で第二の出資国となっている。1950年代には産業の基盤となる電力供給の安定を目的とした融資が行われ、関西電力多奈川火力二基が建てられた。また基幹産業、鉄鋼、自動車、造船などへ向けた融資も行われ、八幡製鉄所やトヨタ自動車挙母工場が建てられた。1960年代には黒部ダム、東海道新幹線の開通、東京-静岡間高速道路の整備が行われた。借入国から資金供与国となった日本が受けた融資は13年間で31件8億6290万ドルであった。1966年で世界銀行を卒業し、1990年7月には最後の借り入れを完済した。
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<Ⅱ.質疑応答>
Q1政治的なアプローチが出来ない世銀は現地でどのような目に見える支援を行っているのでしょうか。
A私たちは政権に対して支援を行ってはおらず、そこの国民に対する支援を行っている。国際社会が全くの政治的介入なしに支援を行うのは不可能であるが、支援国会合で他の支援組織と分業体制で出来るところを受け持って行っている。現場での支援活動について東ティモールの例で説明すれば、インフラの立て直しに加えて、インフラ活動に従事している人たちに話を聞くなどしている。
Q2汚職が蔓延している政府に対して援助を行うことは、更なる汚職問題に発展するのではないかと思うのですが、そこの部分はどうなのでしょうか。
A汚職問題を防止するための努力をしている。世界銀行にはホットラインというものがあり、プロジェクト融資に対して、無駄に使われているのではないかという念や談合があるのではと疑念があった場合に、匿名で調査を世会銀行に依頼することが出来る。そして匿名で調査を行うチームをつくり、もし汚職が見つかった場合にはペナルティを課している。防止策として、益を受ける市民の目を光らせるようにプロジェクトを明示的にし、参画させるようにしている。またメディアの力を借りて、腐敗防止につながる啓蒙活動の土壌を作ったりしている。色々な形で不正防止策を行っている。

岩崎 弥佳
青山学院英文学部卒業後、コロンビア大学国際関係論修士取得。国連開発計画でJPOとしてジャカルタで勤務。その後、国連開発計画ガンビア事務所に勤務。1997年より世界銀行で、主に対外関係の仕事に従事。