【国際機構論】2011年6月28日 国際刑事裁判の変遷と現状(国連大学サスティナビリティと平和研究所 二村まどか様)



2011年度法政大学法学部
「国際機構論」

■テーマ : 「国際刑事裁判所と法廷」
■講 師 : 二村 まどか 氏(国連大学サスティナビリティと平和研究所)
■日 時 : 2011年6月28日(火) 13:30~15:00
■場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 外濠校舎 407教室
■作成者 : 中仙道 舞 法政大学法学部国際政治学科2年
         加 藤 舞 法政大学法学部政治学科2年

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<Ⅰ.講義概要>

1. 国際刑事裁判とは
 国際(混合)刑事法廷・裁判所は現在世界に8つ存在し、「国際犯罪の責任者(個人)を国際裁判所で裁く」場として定義されている。国際犯罪とは「最も重大な国際犯罪(core crime)」と認識されている戦争犯罪・人道に対する罪・ジェノサイド罪・侵略犯罪を対象とし、その責任者として該当する個人とは「最も責任のある者」であり、現職の国家元首さえもターゲットとなる故に、現在スーダンのバシル大統領やリビアのカダフィ大佐にも逮捕状が出ている。また国際刑事法廷・裁判所は国連または条約を通して成立する。ここで注意すべきは国際司法裁判所(ICJ)との違いである。国際司法裁判所は国連の機関の一つであり、個人ではなく国家間の紛争の処理を担っている裁判組織であることに我々は留意すべきだろう。
 ここで最重要であろう国際政治学の観点から国際刑事裁判について考えてみたい。国際社会は、国家より上位に集権的権威が存在せずアナーキーな状態であるので、世界警察が不在であり、常々「誰が被疑者の逮捕に責任を持つのか」が問題視されていた。そもそも伝統的な国際法の概念に基づけば、国際法とは国家間関係を規定するものであり、個人の責任問題は国内問題だと捉えている。つまりここに国際関係の基本である国家主権の尊重・内政不干渉の原則が見受けられる。しかしながら国際刑事法の考え方からすれば、個人が国際法の下で責任を問われ、この考え方は国家主権尊重・内政不干渉の原則を重んじる現在の国際関係において非常に大きな意味を持つものだと認識すべきである。

2. 第二次世界大戦後の国際軍事裁判所
 国際刑事裁判所の背景を見ると、第二次世界大戦後の国際軍事裁判所に辿り着く。この国際軍事裁判所では、第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本の指導者を対象とし、戦争犯罪とりわけ「平和に対する罪(侵略犯罪)」と「人道に対する罪」について問われた。確かにこの裁判は戦勝国側の行為に対しては不問で、戦勝国が敗戦国を裁くという構造であり、事後法を適応したために、その評価については議論の余地があると言えるだろう。しかし初めての公式な国際刑事裁判であり、国際人道法・国際人権法の発展への貢献をした点で評価すべきである。

3. 冷戦時代と国際刑事裁判の試み
 第二次世界大戦以降現在に至るまで国際法、とりわけ国際人権法・国際人道法は目まぐるしく発展していった一方で、冷戦時代に国際刑事法廷・裁判所は一切作られなかった。興味深いことにICC創設の動きはニュルンベルク裁判直後に見られたが、設立に向けた動きは冷戦時代に突入するとすぐに頓挫してしまう。理由として、1)冷戦時代の国際安全保障と国家主権の尊重、2)国際関係における人権問題の位置づけの低さが挙げられる。

4. 冷戦後の国際安全保障と国際刑事裁判
 冷戦が終焉し国際情勢が大きく変化し始めると、大量虐殺や人権侵害、難民を発生させてしまうような内戦が国際問題の中心に登場した。それにより1990年代には「人道的介入」に対する議論が活発化し、国家主権の絶対性は揺らぎ人権問題に対して国際社会が懸念を抱くようになった。国際刑事裁判の必要性はこのような背景から生じたのだ。

5. 国連の国際刑事法廷(ICTY・ICTR)
 1993年オランダに旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)、1994年タンザニアにルワンダ国際刑事法廷(ICTR)が設立された。この二つの裁判の特徴として1)国連憲章第7章に基づいて作られている、2)対象犯罪・地域が限定されたアドホックな法廷であることが挙げられる。しかしこれらの裁判は長期化しているため「閉廷計画(completion strategy)」が適応され、近々閉廷することになるだろう。両刑事法廷は一定の成果を出してはいるが、逮捕・コスト・時間の問題など批判の声の方が大きい。

6. 混合法廷の設立
 ICTY・ICTR以降、上記の教訓・反省を踏まえた上で様々な国際刑事裁判所が設立された。ICTY・ICTRは安保理決議の強制措置であったが、シエラレオネ特別法廷(2000)・カンボジア特別法廷(2006)は国連と当該国の同意のもとで設立される混合法廷であり、法廷の所在地は当該国である点が前者との大きな違いである。混合法廷は国際レベルの裁判手続きを保証しながらも当該国の参加を可能にするという点で、国際刑事裁判のあり方において一番のモデルになったと言えるだろう。

7. 国際刑事裁判所(ICC)
 ICCは1998年7月に120ヵ国の署名を得て採択されたローマ規程に基づく初の常設国際刑事裁判所である。2002年7月に必要な60ヵ国の批准によりローマ規程が発効し、設立された。現在の締約国は115ヵ国であり、チュニジアが今年9月に加盟することを表明しているため、秋以降は116ヵ国になる。
 ICCで取り扱う犯罪は「最も重大な国際犯罪」である、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド罪、侵略の罪の4つである。ただし、侵略の罪については、定義が明確に定められるまでは裁くことができないことになっている。ICCはこれらの重大犯罪に対し、不処罰の文化を終わらせ、積極的に犯罪を防止することを目指す。ただし、取り扱うことができる犯罪はローマ規程発効後の2002年7月以降の犯罪となっていることに加え、犯罪の実行地国または被疑者の国籍国がローマ規程の締約国でなければならない。これは強制措置であるICTY、ICTRとは異なり、条約を基に作られたICCの限界であると言える。
 ICCが管轄権を行使するのは以下の3つの内のどれかの場合である。1つ目は、ある事態が締約国によって検察官に付託される。2つ目は、国連安保理が憲章第7章に基づいて検察官に付託する。3つ目は、ICCの検察官が自らの職権で自ら捜査を開始する。しかし、このいずれかの条件を満たしていればすぐに管轄権を行使できるわけではない。ICCには補完性の原則があるため、当該国の国内裁判所が犯罪の被疑者を捜査・起訴する意志と能力がない場合にのみ介入することができるのである。これは国内裁判所に対し優越性を持つICTY、ICTRと異なる点である。
 安保理がICCに事態を付託した場合には、犯罪地国や被疑者国籍国がローマ規程の締約国でなくとも管轄権を行使できる。これは、安保理の付託が強制措置の一環と見なされるためである。さらに、安保理は、ICCの捜査・訴追が国際の平和と安全を脅かすと判断した場合には12ヵ月間捜査・訴追を停止させることができる。また、安保理の権限の中に侵略の罪を認定する権限があるため、何を侵略の罪とするかについては安保理に一義的な責任がある。もしもICCが侵略の罪を扱えるとなったなら、侵略の罪の定義についてICCと安保理で認識の差異が起こる可能性がある。
 現在ICCは6つの事態を扱っている。1つ目はウガンダの内戦で、抵抗軍の指導者5人に逮捕状が出ている。2つ目はコンゴ民主共和国の内戦であり、ICC初の公判となる「ルバンガ裁判」が行われている。この裁判は少年兵の徴兵を戦争犯罪と認定した点で大きな意義がある。3つ目はスーダンのダルフール問題で、現職大統領オマル・アル・バシールに逮捕状が出されている。4つ目は中央アフリカの内戦、5つ目はケニアの問題である。さらに、2011年6月27日から6つ目の事態としてリビアが追加された。
 ICCに付託された事態はどれもアフリカで起こっているものであるため、アフリカ諸国からはしばしば批判されることがある。しかし、ウガンダ、コンゴ、中央アフリカの事態は、全て政府自らがICCへ自発的付託を行ったものである。これには国内裁判所の能力不足を建前とし、問題を国際社会へ投げかけることにより対反乱軍対策を行っている可能性がある。政治的思惑によって付託が行われた訳であるが、中立であるICCは政府側の犯罪も捜査する。そのため都合の悪くなった政府側は付託を取り消そうとするが、一度付託された事態は取り消すことができないため、結果として政府側が不満を持つのである。また、安保理によって付託されたスーダンのダルフール問題はICCによって現職大統領に逮捕状が出されたことにより大きな波紋を呼んでいる。さらに、今後捜査・起訴する可能性のある調査中の国は、アフガニスタン、ギニア、グルジア、コロンビア、コートジボワール、パレスチナである。これを見ると必ずしもICCがアフリカを狙い撃ちしている訳ではないことがわかる。
 リビアではカダフィ大佐によって市民に対する武力弾圧が行われており、2011年2月26日に、国連憲章第7章の元、安保理は全会一致で情勢をICCに付託した。これにより、ICC主任検察官がカダフィ大佐を含む3名に対し人道に対する罪の容疑で逮捕状を請求した(2011.5.16)。逮捕状請求は予審裁判によって可否が決断されるが、2011年6月27日に受理された。ダルフール問題では逮捕状が出されるまでに5、6年経ているのに対し、わずか4ヵ月でこれほど事態が進展したのは異例の早さと言える。しかし同時に2011年3月20日以降、NATO軍によるリビアへの空爆は継続している。このような状況の中、ICCの捜査やカダフィ大佐に対する逮捕状が本当にリビアの平和と安定に貢献するのかについては疑問が投げかけられている。

<Ⅱ.質疑応答>
質問1:
 アメリカはなぜICCに加盟しないのか。

回答1:
 アメリカは世界各地にアメリカ軍を展開している。この特殊な立場から、政治的な理由で自らがICCによって狙い撃ちされるリスクをもつ。これは国益にそぐわないとするのがアメリカの主張である。しかし、ICCには補完性の原則があり、自国の裁判所で事態を扱うならICCの介入は受けずに済むのである。それなのにICCに加盟しないことからは、自国の主権が脅かされかねない制度は受け入れたくないという意思が見て取れる。

質問2:
 ローマ規程第16条によりICCは政治機関である安保理の影響を受ける。AUがICCに対する権限を総会にも持たせるべきだと提案しているが、このことはむしろ政治的な介入を増やしてしまうのか、もしくは権限の拡大により、公平性と独立性が補われるのか。

回答2:
 ローマ規程の冒頭では、国際正義を謳いつつも、ICCが国際の平和と安全に貢献することも触れている。国際の安全に対して一義的な責任を持つのは安保理であるため、その関係上ICCと安保理の関係は成立する。一義的に安全保障を扱う訳ではない総会にまでICCに対する権限を拡大すると、逆に複雑化し、政治的になってしまう恐れがある。

質問3:
 カダフィ大佐に対する逮捕状(リビアに対するICC検察官の捜査)はNATO軍による暗殺を防ぐことができるか。

回答3:
 この件をICCに付託した安保理決議1970が批判されている点として、ICCにリビアの件を付託するが、非締約国が安保理によって認められた平和に関する任務を行っている行動については捜査の対象外にすると言う但し書きの存在がある。安保理によってお墨付きを得たNATO軍による武力行使はこの条件に当たる。よって、NATO軍にICCの捜査の影響は及ばないと言うことになる。

質問4:
 ICTYが1993年に設置された後も戦闘行為が継続されたが、ICTYには抑止力的な目的はなかったのか。

回答4:
 皮肉にも、ムラジッチ、カラジッチに逮捕状が出た後にスレブニッツァの大虐殺が起こっている。国際刑事裁判全般に言われていることであるが、刑事裁判の抑止力については懐疑的にならざるを得ない。ICTYの設置当初は抑止力を明確に念頭に置いていたが、結果としてその効果は希薄であった。

質問5:
 ICCの事項的管轄権の一つに「侵略の罪」があるが、これは、国連総会決議3314で定められた侵略の罪に対する定義に該当しないのか。

回答5:
 1974年の総会決議によって侵略の罪が定義され、これに基づき常設の国際刑事裁判所設置の動きがあった。しかしこの3314決議は非常に政治的なものであり、様々に解釈の余地があるため刑事裁判に適当とは言えないものであった。この3314決議では侵略の罪の定義が刑事裁判に適用できるほど明確でなかったと言える。

質問6:
 テロとの戦いは戦争と言えるのか。

回答6:
 戦争を戦うためには国や個人など、特定の対象が必要となる。テロリズムとは行為の名前であるから、「テロとの戦い」の対象はあいまいであり、戦いの終着点が設定されていない。また仮に軍事的に勝利したとしても、テロとの戦いに勝った(テロの撲滅に成功した)とは必ずしも言えない。だからこそ、「テロとの戦い」に勝利があるのか、それがどういうものなのか、不明である。

質問7:
 ビンラディンはICCで裁く対象となり得たのか。

回答7:
 9.11は人道に対する罪であったと理解することもできたが、アメリカが戦争と明言したため、国際犯罪として扱える事態が、戦争行為になってしまった。(ビンラディン殺害に関して)ビンラディンを戦争におけるターゲットとして捉えるのか、国際犯罪者として手配されている個人と捉えるのかでは、アメリカの取るべき行動が戦闘行為だったのか警察行為だったのかと異なる。この事態の文脈がどうであったのかはアメリカの国際法学者の間でも議論がなされている。戦闘行為であればジュネーブ条約などが適用されるが、国際犯罪人とするなら逮捕する必要があった。2001年9月の時点でブッシュ元アメリカ大統領が「テロとの戦い(戦争)」を宣言したことで、文脈が設定され、結果としてアメリカの意のままになってしまったといえるかもしれない。
テロの問題に関しては、侵略の罪と同様に定義が曖昧であるためICCの事項的管轄権に含めることができなかった。ただし、大規模で卑劣なテロ行為については、人道に対する罪としてICCが訴追することができる。