(日本語) 中国が国連通常予算の分担金負担率で米国に次ぎ第2位となり、国連での日本の存在感が少なくなってきていると報道されている (16/08/2018)

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 それでは日本はどうしたら良いだろうか。日本は憲法の前文で国際社会において、名誉ある地位を占めたいと示めしている。国際社会において「名誉ある地位」とは、何を意味しているだろうか。


 国連は加盟国が負担する通常予算の分担金の比率を各国の経済力や支払い能力をもとに3年に1度見直していて、先週2019年から2021年までの3年間の分担率の試算結果を公表した。この分担金の新しい比率によると、米国が引き続き22.00パーセント払うことで1位にとどまるが、中国の負担額が12.01パーセントとなり2位になり、日本の負担額は8.56パーセントと減少して3位になることが確実となった。15年ほどまえの2004-2006年の3年間の比率では、日本の負担額は19.47%で米国と肩を並べるほどの額であった。当時の中国の分担金の割合は日本の10分の1程度の2パーセントほどであった。その後の中国の躍進は目覚ましい限りで、中国の分担金の比重が米国と同じ程度になる可能性は十分とあると言えよう。

 これに比較して、先日死去された元コフィーアナン事務総長が2005年に安保理の常任理事国になる資格として三つの要要素を示されたことを覚えている。それらは、政治外交面での貢献度、治安部隊の貢献度そして財政資金面での貢献度の三つであった。当時、日本は国連の通常予算の第2位の貢献国であった。その支払い額は、英国、フランス、中国、ロシアの合計額を上回っていた。また1990年代には日本は政府間開発援助(ODA)の最大の拠出国でもあった。しかしながら、この30年間ほどの間に、日本の経済力の相対的な低下は著しく、安保理の常任理事国になる、三つの条件の唯一の満たしてきた資格をも失ってしまったと言えよう。

 それでは国際社会を象徴する国連で日本は何ができ、すべきであろうか。

 国連の安全保障理事会の常任理事国になる可能性が遠のくなか、日本が憲法の前文に書かれているように国際社会で「名誉ある地位」を得るにはどうしたら良いか、考え直す必要があると思われる。

 日本国憲法の前文では以下のように謳っている。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


 国連の安全保障理事会の理事国になることが名誉ある地位の一つであるということが言えるが、それが絶対必要条件ではないのである。国連の194の加盟国の中には、安保理の理事国ではなくても、尊敬されている国々がある。これらの国々は、国連に政治的、外交的、経済的そして社会的に貢献している。普遍的な理念を遵守し、人間の自由や人権の擁護、そして、発展途上国の経済社会開発のために多大に寄与している。また地球の環境や公平で公正な社会構築に、日本は今後も引き続き貢献していくべきである。