[Seminar] Insightful Presentations about “The Problems of Philosophy”– the 2nd day of the Spring Camp (1st April 2012)



 On 1st April 2012, all of the seminar students analyzed themselves with the Myers-Briggs Type Indicator (MBTI) in the morning. Then they watched the “Justice with Michael Sandel“, and discussed what would be the right thing to do if we had to choose either (1) killing one person to save the other five people or (2) doing nothing. After the lunch, they took some memorial photos in front of the Lake Kawaguchi, and then new sophomores made their presentations about “The Problems of Philosophy“. As the result of their scoring on the presentations, Mai Uchida was awarded the first prize. After the supper, they discussed where to go as their study trip in this summer vacation, yet they couldn’t reach an agreement. Finally, they had a little party. It was a precious time to know each other.

(Kohei Yokota)


Short Summaries of “The Problems of Philosophy” (written by Bertrand Russell)

<Chapter1: APPEARANCE AND REALITY>
 日常生活で確実なものとして受け入れている多くのものは哲学によって吟味すると明らかな矛盾に満ちており、物そのものの姿つまり実在は直接見ることはできず、五感からは色・形・においなどの物の記述を意味する現象のみがわかる。そして、物の実在の姿は未だ知ることはできないが、自分から独立して存在する対象の存在である実在を私たちは認めており、その対象が私たちと関係があるとき、現象が付いてまわる。(谷田部紗也加)

<Chapter2: THE EXISTENCE OR MATTER>
 今回、春合宿において「哲学入門」のプレゼンテーションを経験し、沢山の課題を見つけることが出来た。私は「二章 物質は存在するか」というこの本の基礎的な問いについて発表した。本章は、物の有無という、哲学を学んでいくうえで基礎的な部分にあたるため、より詳しく説明しようとしたところ、情報量が多いという結果になってしまった。したがって、内容を柔らかくして、簡潔に説明することで誰にでもわかるプレゼンテーションを心がけたい。(石川美菜子)

<Chapter3: THE NATURE OF MATTER>
 合宿でプレゼンをして自分の伝えたいことを他人に伝えることの難しさを感じました。また自分のプレゼン能力の低さを痛感し、課題がたくさん見つかりました。その中でも特に私はプレゼン本番でしっかりと自分の伝えたいことが伝わるような話し方や、表現の仕方をできるようになりたいです。これからのプレゼンでは早い段階から準備をし、今回見つかった課題ができるように取り組んでいきたいです。(加藤梨紗)

<Chapter4: IDEALISM>
 知られているものはすべて「観念」であり、それらは心的でなければならないつまり心の中になければならない、とバークリは考えた。しかしラッセルは2つの理由を持ってこのバークリの考えを否定する。1つ目の理由は「観念」という語の使用による混乱、2つ目はものを捉えるはたらきと捉えられる対象を混合しているという点だ。また、直接対象を認識していなくても記述を介してものを知ることもできると述べ次の章で詳しく説明している。(本多優子)

<Chapter5: KNOWLEDGE BY ACQUAINTANCE AND KNOWLEDGE BY DESCRIPTION>
 ものの知識を得る方法は2種類ある。物的対象の色や形などのセンスデータを直接的に得ることを面識による知識、書物などを介して間接的に得られるものを記述による知識という。直接経験を介さずとも得られる記述による知識は、時代や国を超えて共有することができるという重要な特徴がある。(内田真衣)

<Chapter6: ON INDUCTION>
 私達はいかにして一般的原理を知るのか。その一つの手段として、帰納原理がある。帰納法とは、個別事例から一般事例を求める推論方法である。特徴は前提が真でも、結論が100%正しいとは言い切れず、蓋然性のみが高まるという事だ。ラッセルは経験に訴えても、帰納原理の間違いや、正しさを証明する事は出来ないと述べている。だが経験していないものについて語る知識は、信念(帰納原理)に支えられている。ゆえに原理そのものの明白さを根拠として、帰納原理を受け入れるべきである。(内山靖己)

<Chapter7: ON OUR KNOWLEDGE OF GENERAL PRINCIPLES>
 一般的原理の知識の一つにアプリオリな知識がある。アプリオリな知識とは、「経験を通じて得られる知識で且つ論証が不要なもの」である。そしてその中には「倫理学の命題」や「純粋数学の命題」さらには「倫理学の命題」などが含まれている。また「2+2=4」のようなアプリオリな知識に知られる命題を論じる場合は演繹を用いる事が望ましく、「ソクラテスの死」の例のような経験的一般化を論じる場合は帰納法によるほうが正しい結論を導くことにつながる。(河瀬雄飛)

<Chapter8: HOW A PRIORI KNOWLEDGE IS POSSIBLE>
 近代で最高とされている哲学者のカントは批判哲学を発明した。カント以前は、アプリオリな知識は分析的な知識であると考えられていたが、カントは原因と結果の結合や算術に関しては総合的であるという答えを導き出した。カントはアプリオリな知識は私たちの本性に由来し、すべての物もそれを持たずに経験に現れることはないと主張したが、ラッセルは本性の能力の限界を示し、アプリオリな知識は心的・非心的を問わずに成立すると導いた。(栗栖萌)

<Chapter9: THE WORLD OF UNIVERSALS>
 普遍とは何か。それは、様々なものが備えている特徴のようなものであり、個別的なものとして存在しない、永遠にそれ自体として有り、感覚されるものと異なる不変のものである。そしてそれは、心的な世界とは独立したところに属する。例えば、エディンバラはロンドンの北に在るというのは、私たちがその情報を知っていようがいまいが変わることのない関係である。この世界に心が存在しなかったとしても、北に在るという事実は不変である。これによりこの関係は普遍であると言え、時間にも場所にも存在せず精神的なものでもないという意味で心的なもの、つまり思考とは独立していると言える。結論として、感覚される思考や感情がある存在の世界と普遍の世界どちらか一方だけでなく、両者に注目し二つの関係を考察していくべきであると言える。(河辺大毅)

<Chapter10: ON OUR KNOWLEDGE OF UNIVERSALS>
 哲学的な普遍とは、特殊・個別なことに対してある範囲で共通することを指す。その普遍は面識によって知られるもの、記述によって知られるもの、面識・記述によっても知られないものの3つに分けられる。どんな事実も経験とは独立に知ることはできないため、2+2=4のようなアプリオリな知識は普遍間の関係のみを扱うことが明らかとなった。それとは反対に個別事例である経験をもとにして考え出されることを経験的一般化という。(小峯美紗)

<Chapter11: ON INTUITIVE KNOWLEDGE>
 『哲学入門-第11章-直感的知識について』では、私たちが日常生活において多く用いる直感的知識について扱っていく。私たちは直感的知識なしでは生きられないが、その根拠を追い求めても最終的には帰納原理へと行きつくため根拠をみいだせない。直感的知識の一種である感覚判断/記憶判断を考えると、自明性に度合いがあるとわかる。つまり、私たちは自明性の度合いを瞬時に見極め、直感的知識を導きだしているのだ。(勝瑞優希)

<Chapter12: TRUTH AND FALSEHOOD>
  この章では、真と偽を区別する前段階として、「真とは何か」、「偽とは何か」について明確にしている。真と偽は心から生み出されるのではなく、心が生み出すのは信念であり、その信念を心が真か偽かを区別することはできない。真偽がわかれるのは、心以外の構成要素が複合的な統一体を順序正しく作るかどうか、かつその対応事実があるかないかよって決まる。(成川由倭)

<Chapter13: KNOWLEDGE, ERROR, AND PROBABLE OPINION>
  前章では、「真」と「偽」がどのようであるかに焦点を当てた。第13章では真偽はどのようにして知ることができるかについて考えていく。そもそも「知る」とは何か? 大前提として、偶然なる産物は知識としてあり得ないし、前提が「偽」なるものも知識とは言えない。必要条件なのは正しい論証過程と、周知に明確な信念である。そもそも知識には2種類ある。直観的思考と派生的思考がある。今まで話した、知られた前提から正しく論証されたものが後者である。真理を手助けする者は自明性である。これは、絶対的な真理を指すものと、私密性を伴う、限定されたものを保証するものとがある。しかし、穴があり、真理を指すには不充分であることがわかった。どうしても程度の差が出てくる可能性を否定できないのだ。その蓋然的な見解において斉合性が役に立つ場合がある。帰納法において完全なる真が続いている時だ。しかし、これも見方を変えれば完全と言うことが出来ない。この様に実は、知識とは不安定なものだったのだ。(横田晃平)

<Chapter14: THE LIMITS OF PHILOSOPHICAL KNOWLEDGE>
 多くの哲学者たちは、「細部を不必要なものとし捨像すれば、科学の根底にある原理から全体としての宇宙を知ることができるとした。しかし哲学にはそういった知識がみつかっておらず、普通に知識として見られているものがあるが、一方で形而上学者があげてきた説教には否定的なものが多かった。したがって、哲学とは誤謬をできるだけ小さくするものであって、それ以上のことはなしえないとういことである。(成川由華)

<Chapter15: THE VALUE OF PHILOSOPHY>
 哲学は様々な難解な問いに関してこれまでの歴史の中で、目に見える答え、明確な答えを導き出すことが不可能であった。哲学では何が存在するかということに関しては、明確な答えが出ないが、何が存在しうるかという点に関して、可能性を押し広げてくれる。そして、それにより我々がこれまでの経験の中で身に着けてきた偏見・確信・信念から解放する機会を与えてくれるのである。そして、視野を広げ自分の可能性を押し広げることに寄与するのだ。これが哲学における価値である。(武正桂季)