[Seminar] The third class, carefully read “International Conflicts” Chapter3 and Chapter4 (24th April 2012)



2012年度法政大学法学部国際政治学科
長谷川祐弘ゼミナール

■ 日 時 : 2012 年4月24日(火)
■ 場 所 : 法政大学市ヶ谷キャンパス 富士見坂校舎 F310教室
■ 作成者 : 丸山 小百合 法政大学法学部国際政治学科3年

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<4限目>
■ 内 容 : 文献精読『国際紛争』 第3章
■ 発表者 : 勝瑞 優希 (開発経済班) 法政大学法学部国際政治学科2年
北村 裕奈 (開発経済班) 法政大学法学部国際政治学科3年
■ 使用文献 : ジョセフ・S・ナイ・ジュニア著 『国際紛争』 P.77~P.112

1.バランスオブパワーとは何か
 バランスオブパワーは、国際社会の無政府状態を維持しているシステムである。そのパワーが意味するものとは「他者に影響を与える能力」であり、国際社会においては人口、領土、天然資源の保持などである。しかし、パワーは計測することが難しく、絶え間なく変化しているため、バランスオブパワーの下では常にその変化に対応できる組織力が大切である。
 また、パワーオブバランスには分布、政策、多極システムの3つの概念がある。分布は単なるパワー分布を示し、政策は国際社会のバランスをとることを意味し、多極システムは国家間の同盟や複雑性を示すことに用いられる。

2.第一次世界大戦開戦の原因と教訓
 第一次世界大戦は、1914年のサラエボ事件をきっかけに勃発し、1918年に終結した。これを3つの分析レベルから考察する。1つ目は「構造レベル・プロセス面」である。構造レベルでは、ドイツの力の増大と、イギリスの孤立への恐怖が、個々の同盟の硬直性をさらに増加させた。プロセス面においては、世界大戦下の二極構造が19世紀のバランスオブパワーを終焉させ、20世紀の節度のない状態を生み出した。ここでは、ナショナリズムの勃興、ドイツの力の追及、平和への自己満足が指摘できる。
 以上のことから教訓として学べることは、バランスオブパワーのみでは安定は生み出せないと言うことであり、平和への自己満足に警戒しなければならない。また、前回のパターンと次回のパターンは必ずしも一致せず、その時によって対応を変化させなければならないことが理解できる。

<5限目>
■ 内 容 : 文献精読『国際紛争』 第4章
■ 発表者 : 小峯 美紗(開発経済班)法政大学法学部国際政治学科2年
内山 靖己(開発経済班)法政大学法学部国際政治学科2年
■ 使用文献 : ジョセフ・S・ナイ・ジュニア著 『国際紛争』 P.113~P.144

1.集団安全保障の挫折と、第二次世界大戦
 集団的安全保障はどのように変化し、その影響を及ぼしたのか、焦点、システム、中立が可能か不可能かの相違点から考察する。まず焦点の相違点である。バランスオブパワーにおいてはあくまで独立を維持するものであるため、各国家の能力に依存する。一方の集団的安全保障では、各国家間同士のつながりに依存する部分が大きい。そのため集団的安全保障は、攻撃的性格をもつ。システムの焦点からみると、同盟を組むタイミングが重要であり、同盟が保障されていない状況では、中立は不可能と言える。これらのことから、集団安全保障ではそれを取り巻く環境が重要である。これが崩れたため、第二次世界大戦が起こったと言える。

2.第二次世界大戦の教訓
 第二次世界大戦を3つのレベルから分析する。まず、個人の役割に関しては、第二次世界大戦においてはヒトラーがどのような政策を執り、どの選択をするかで結果が変化したことから、個人の持つ役割が戦争の決定要因の一つと言える。システムレベルでは、第一次世界大戦後のドイツの処理を誤ったこと、大国のバランスオブパワーを確立できなかったこと、極左右のイデオロギーを出現させてしまったことなどが指摘できる。国内レベルでは、イデオロギー論争を巻き起こしたことで外交調節を困難にしたこと、経済破綻による失業者の増大がナチ党による人員獲得を招いたこと、米の孤立主義などが指摘できる。  
これらのことから、第二次世界大戦の深層原因を第一次世界大戦の未処理、中間原因を社会・イデオロギー的混乱、直接原因をヒトラーの支配戦略と示すことができる。
 第二次世界大戦の教訓は、宥和政策自体は悪くはないが実施に熟慮が必要なこと、過度に単純な歴史モデルに対しては慎重になることを示している。